震源時間(JST) 緯度 経度 深さ 規模 震央地域名 A 2014/11/22 18:50:56 30.61N 131.60E 10km M 2.2 種子島東方沖 A 2014/11/22 12:35:02 30.64N 131.62E 23km M 1.9 種子島東方沖 A 2014/11/22 06:36:32 30.64N 131.56E 22km M 1.8 種子島東方沖 A 2014/11/22 03:49:45 30.57N 131.60E 27km M 3.4 種子島東方沖 A 2014/11/22 03:18:56 30.57N 131.10E 21km M 2.0 種子島・屋久島周辺 A 2014/11/22 02:48:31 30.69N 131.61E 9km M 1.8 種子島東方沖 A 2014/11/22 01:53:52 30.65N 131.57E 10km M 2.7 種子島東方沖 A 2014/11/22 01:36:16 30.06N 131.31E 11km M 2.5 種子島東方沖 A 2014/11/22 01:05:32 30.64N 131.59E 14km M 2.4 種子島東方沖 A 2014/11/22 00:43:54 30.63N 131.58E 21km M 2.4 種子島東方沖 A 2014/11/22 00:24:15 30.58N 131.61E 25km M 2.6 種子島東方沖 A 2014/11/22 00:11:09 30.60N 131.59E 28km M 2.0 種子島東方沖 A 2014/11/21 23:43:43 30.64N 131.60E 16km M 2.1 種子島東方沖 A 2014/11/21 21:11:17 30.66N 131.56E 20km M 2.0 種子島東方沖 A 2014/11/21 19:23:37 30.64N 131.57E 15km M 2.5 種子島東方沖 A 2014/11/21 18:57:33 30.60N 131.59E 26km M 2.6 種子島東方沖 A 2014/11/21 14:49:55 30.57N 131.57E 26km M 2.6 種子島東方沖 A 2014/11/21 14:47:44 30.62N 131.57E 16km M 3.5 種子島東方沖 A 2014/11/21 14:00:54 30.58N 131.59E 12km M 4.0 種子島東方沖 A 2014/11/21 13:34:05 30.39N 131.46E 16km M 2.3 種子島東方沖 A 2014/11/21 09:44:10 30.66N 131.57E 14km M 2.1 種子島東方沖 A 2014/11/21 09:31:25 30.51N 131.09E 79km M 2.2 種子島・屋久島周辺 A 2014/11/21 05:33:21 30.65N 131.59E 19km M 1.8 種子島東方沖 A 2014/11/21 05:09:51 30.63N 131.60E 14km M 2.8 種子島東方沖 A 2014/11/21 03:04:02 30.62N 131.59E 27km M 1.8 種子島東方沖 A 2014/11/21 02:54:01 30.64N 131.56E 27km M 1.7 種子島東方沖 A 2014/11/21 02:52:44 30.65N 131.59E 26km M 1.7 種子島東方沖 A 2014/11/21 02:34:27 30.62N 131.60E 13km M 3.0 種子島東方沖 A 2014/11/21 02:11:04 30.62N 131.64E 23km M 1.7 種子島東方沖
フォッサマグナは明治時代大日本帝国明治政府がドイツ人科学者に 調査依頼し発見された ハインリッヒ・エドムント・ナウマン (Heinrich Edmund NAUMANN) はこの地質構造の異なるラインが糸魚川から静岡にまで至るのを発見し、 1885年に論文 "Über den Bau und die Entstehung der japanischen Inseln"(「日本群島の構造と起源について」)として発表した。但し、 発表論文「日本群島の構造と起源について」のなかで同じものに "grosser Graben der Bruchegion" との表記も使用している[1]が、 翌1886年にはFossa Magna(フォッサマグナ)と命名した。この論文は1893年に初発表され、論文名に初めて「フォッサマグナ」が登場した。 彼は南アルプス山系から八ヶ岳や関東山地を眺望した際、巨大な地溝帯の存在を思いついたとされる。