【不祥事】札幌ひばりが丘病院で麻薬取締法違反 院長が会見 VIDEO 「PTSDの症例報告」が皆無のため「学会活動に値しない」と 「PubMed〜MEDLINE(アメリカ国立医学図書館)」から 2018年以降、排除されている「日本精神神経学会(精神神経学雑誌)」
105407100了】人間に感染する新型豚インフルエンザ105407105410 [536779938] (31) 7:豚インフルエンザ ウクライナで60人死亡 [487816701] (9) 8:人の胞に感染する豚のインフルエンザウイルス見つかる 中国 [402859164] (21) 9:中国の豚から新型インフルエンザが発見される パンデミックの可能性 [87889874
550907100了】人間に感染する新型豚インフルエンザ550907100955 [536779938] (31) 7:豚インフルエンザ ウクライナで60人死亡 [487816701] (9) 8:人の胞に感染する豚のインフルエンザウイルス見つかる 中国 [402859164] (21) 9:中国の豚から新型インフルエンザが発見される パンデミックの可能性 [87889874
533007100了】人間に感染する新型豚インフルエンザ533007103053 [536779938] (31) 7:豚インフルエンザ ウクライナで60人死亡 [487816701] (9) 8:人の胞に感染する豚のインフルエンザウイルス見つかる 中国 [402859164] (21) 9:中国の豚から新型インフルエンザが発見される パンデミックの可能性 [87889874
204107100了】人間に感染する新型豚インフルエンザ204107104120 [536779938] (31) 7:豚インフルエンザ ウクライナで60人死亡 [487816701] (9) 8:人の胞に感染する豚のインフルエンザウイルス見つかる 中国 [402859164] (21) 9:中国の豚から新型インフルエンザが発見される パンデミックの可能性 [87889874
録音禁止と書かれててドン引きした 記録されてはヤバイ治療でもしてるのか
精神科の外来、入院評判最悪だけど実際医師はどうなんでしょう? よくここの精神科入院したら、人体実験されたとありますが‥ 自分に当たった医師は、診断名、薬の経験について患者と意見が合わないと、患者の経験を否定する横暴な印象がありました
逸脱と医療化―悪から病いへ (MINERVA社会学叢書) 以下は「医療化」の良い点と悪い点。 逸脱の医療化は重要な社会的影響をもたらす。「明るい側面」と目しては以下の五つが挙げられる。 逸脱をより人道主義的にとらえること 逸脱者に病人役割を適用し,非難を最小化し,一定の逸脱を条件つきで免責すること 医療的モデルによって,変化に対してより楽観的な見方ができるようになること 逸脱の認定や治療に対して医療専門職の威信を付与できること 医療による社会統制が他の統制よりも柔軟で,ときにはより効果的であるということ しかし,医療化には「暗い側面」もある。 個人の逸脱に対する責任を全く無視してしまうこと 医学が道徳的に中立的であると想定してしまうこと 専門家支配によって起こる様々な問題 社会統制のために使われる強力な医療技術 社会に存在する複雑な問題を個人化してしまうこと 逸脱行動を脱政治化させてしまうこと 悪を排除してしまうこと。 そして、「犯罪有責モデル」「医療無責モデル」のオルタナティブとして「犠牲者」モデルを上げる。 逸脱の医療化は,事実上の、社会政策として認識されるべきである。 逸脱の医療化の程度,ポリティクス,便益,費用などについての調査が,もっとなされなければならない。 医療による社会統制に対する一定の「対抗勢力」が創出されねばならない。 「犠牲者」モデルという形で,行為に対する責任ほ問うが,責めることは、しないという新しい逸脱モデルが必要である。犯罪か病気かという二分法モデルから脱却する必要がある。 http://archive.is/8JbMn 獣医がある牛の状態を診て病気と診断する場合、彼はその診断のみでその牛の行動を変えはしない。 つまり、牛にとっての病気は体験している生体生理学的状態であるにすぎず、それ以上の意味はないのである。 ところが医者がある人間の状態を病気と診断すればその診断によって医者はその人の行動を変えてしまう。 いうならば病気の意味を疾患に付け加えることにより、ある社会的な状態が生体生理学的な状態に付加されるのである。 次のような場合の帰結の差異について考察してみよう。 労働の無能力が怠状によるとされる場合、または単核症のためとされる場合、またはてんかんのためだとされる場合、 あるいは飲酒癖が道徳的な弱さのためとされる場合、またはアルコール症のためとされる場合である。 つまり医学的診断は人の行動、その人が自分自身に対してとる態度、他人がその人に対してとる態度に影響を及ぼすのである。 要約すれば、病気とはそもそもある状態に関する人間の判断に基づいた社会的構成物である。 病気はある意味では美意識と同じく見る人次第である。 これは部分的には疾患とは何かということに関して流布している文化的な概念に基づいており、 そうでない時、この方が西欧社会では殆どなのだが、生体生理学的な現象に基礎を置いている。 だが、いずれにせよ病気というこの社会的評価を下すという過程が病気や疾患の概念にとっては枝葉末節なことでなくむしろ中心的なことなのである。 論理的には(体系化された分類である)診断と治療が共に社会的判断を土台としている以上、両者は不可分なのである。 「疾患」の原因である微生物を確認することが重要な結果をもたらすのとちょうど同じ様に病気を社会的判断として認識することが重要なのである。 いうまでもないが、逸脱行動をめぐる病気の社会的構成は、明らかに生体生理学的な問題に比べてより多義的で解釈次第となりがちである。 この点から見れば病気と定義された状態は、社会的な価値体系とある社会の一般的世界観とを反映していることが理解できるのである。 批判的精神医学 : 反精神医学その後 D.イングレビィ編 177p.
◆何千人もの人が同じような症状を訴えている。 それによれば、英国、オーストラリア、米国(CIA、国防総省諜報局と協力大学)、 カナダの諜報機関は、40年以上に渡って、約50万人を実験台にしていました。 この50万人の中に入っていたグループは、貧困者、精神病患者、妊婦、4歳以上の子供たち、 イスラム教徒、カトリック教徒、軍人(皆が若くて健康)でした。50万人が実験台になりました。大まかなところはそうです。(中略) 米海軍兵器センターの発言です。「我々は、細胞、組織、生体全体の行動を変化させることができる」。つまり、体のどこでも、です。 「胎児死亡率を6倍上げ、先天性異常を引き起こし、人体の細胞に悪性腫瘍を引き起こすことができる」。 2001年から2007年にかけて、秘密のコースが行われていました。このコースの第11番目の開始時には、こうありました。 「学生たちは、現在の知識を学ぶ。ガンのメモリー、脳の機能障害、目や肌へのダメージ、電磁波・周波数による先天性障害」。 ◆実験は特定のプロジェクトの一環だった どんな精神疾患だろうと、電磁波を使って引き起こすことができる、というのが彼らの自慢でした(それが可能なのは知っています)。 精神分裂病、パラノイアを誘発する事もできるし、目を見えなくさせたりすることもできます。 心臓発作、肝臓の機能障害、心臓の機能障害も引き起こせる。その内臓をターゲットにするだけで、人体になんでも引き起こすことが可能なのです。 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200& ;c=400&t=6&k=2&m=295046 ↑このテクノロジーを医師が使用していると考えて間違いないだろう 国家機密レベルの話なので絶対に言わないが
医療従事者専用の身に付ける機器を必要としない視界に直接投影する装置は 患者の話したことを分析して投影する患者の気分をお天気マークで表示したり 本当かウソかも表示する得意げにしているとニヤリと表示したりかなり精巧に表示するのである だが看護師が見るものは医師が編集したものばかりなので本当でもウソと表示させたり 事実と異なっている場合も多い 主治医やこの病院と相性が悪く治らないのに同じ病院にいつまでもいる人は 時間の無駄だからほかの病院を探した方がよい
俺がある病院で性格を最初と真逆に当てつけられまくって原型をとどめない認知にされてどう頑張ってもそうなってしまっていたのに 精神科医を変えると訳分からん所まで病気になる前のもともとの性格や知能やコミュ力に戻ったのは 精神科医に完全な脳のコピーのデータがあってそこに精神科医が視界に投影する医療技術でフタを並べていくので 元々の脳はどうだったか他の精神科医がどう治療したかも精神科医は完璧に把握しているのだろう 戻そうと思えばいつでももともとの脳に完全に戻せるのだ
大学教授の福島哲夫のブログが参考になる 精神科や心療内科に限っては大病院の方がいいとは言えないむしろ逆だ この領域では国公立や大学病院は必ずしもおすすめできないのが残念ながら率直な感想ですと記している
身体を対象にした制御 実は、これには、近代、特に18世紀の啓蒙の時代になって以降の医学の進歩が深く関係している。 バーバラ・スタフォードが「啓蒙された批評家の仕事は今や数学者のそれと似ていた。 この木立ちに剪定の鋏を入れて、永遠の原理に従って構想された秩序立ち、客観的で機械的な自然にと刈り込むのである。 身体が概念へ、蓋然が公式に変わるこの複雑な変化が完成するには丸一世紀を要した」と『ボディ・クリティシズム』などで論じているとおり、 18世紀を通じて身体はイメージを介して制御の対象となる(数値を用いてより科学的に制御が行われるようになるには、もうすこし待たなくてはならない)。 スタフォードが身体のイメージとその制御の例としてあげるのが、当時有名だった観相学者のラファーターが人の人相をコード化していく例だ。 身体は、要約され、コード化され、図式化されることで監視・制御の対象となっていく。医学の技術が政治的にも利用可能になる。 これが時代が降って19世期に入ると、ジョナサン・クレーリーが『観察者の系譜』で論じているように、生理学という人体制御に使える分野も成立しはじめる。 医学がその計測能力を高めたことがアガンベンのいう生政治が可能な基盤を作ったのだといえる。 医学の分野における、こうした発展とともに、政治が身体を通じて剥き出しの生を管理・制御の対象とすることが可能になったのである。 収容所の出現を許すかどうか? そのことは、アガンベンは本書でも指摘している。 実のところ、国民社会主義帝国は、医学と政治が、一つに統合されるという、近代の生政治の本質的特徴がその完成した形を引き受けはじめる瞬間をしるしづけている。 このことが含意するのは、剥き出しの生に関する主権的決定が厳密に政治的な動機や領域から離れ、 さらに両義的な領域へと移動していく、ということである。この領域では、医師と主権者が入れ替わっているように思われる。 ホモ・サケル 主権権力と剥き出しの生/ジョルジョ・アガンベン https://archive.is/MVZbo 患者の意識精神状態から何で悩ませるかも 精神科医は事細かに選択できる脳を自由自在に調整できるのである つまりプシコが変な言動を取ったらそれは精神科医がそうさせているのである プシコが変な患者であればあるほどその主治医が変な人だということになる
■シンポジウム「『精神分裂病』(現統合失調症)とは何か」 クーパーとサズの来日講演 /東京で第72回日本精神神経学会総会 1975/05/12・13・14 まず、東京医科歯科大の島薗安雄が精神分裂病の生物学的研究の歴史経過を、東京精神医学総合研究所の荻野恒一が病理学・精神分析学的立場からの現状を述べ た後、サズが「Schizophrenia:The Sacred Symbol of Psychiatry(精神分裂病:精神医学の神聖なる象徴」、クーパーが「What is Schizophrenia?(精神分裂病と は何か?)」と題してそれぞれ講演している。 サズは、ここでも従来からの主張を繰り返す。要約すると1点目は、精神分裂病の症状といわれている現象があることは認めるが、精神分裂病(現統合失調症)なる ものは存在しない。なぜなら、精神分裂病の診断は「行動上の諸症状」を基礎に行っているものであり、はっきりした細胞上の病理などを示されていないからである。 精神分裂病とは絶対的・科学的な研究の結果ではなく倫理的・政治的な判断によって生じたものである。すなわち発見されたものではなく、社会的に構成され考えだ されたものであるとする。症状はあるが病因は不明のまま作為的な病名だけが与えられているとする従来の反精神医学の主張である。2点目に、サズはこのような精神 分裂病が社会的なものであるという前提にたち、患者の市民権や法的権利において人権侵害がなされていることにふれる。3点目としては、医学一般と精神医学を対比 し、医師と患者関係について述べている。自由な資本主義社会において、精神医学の需要と供給、すなわち検査や診断、治療といったものは当事者である医師か患者の どちらかが拒否すれば成立しないはずである。しかし、「伝統的な医学においては、医師は患者の代理行為者であるが、伝統的な精神医学においては医師は社会の代理 行為者」であるという現実上、医師によって患者が精神分裂病の診断名を冠されてしまうことにより、患者はどのように危険なのかも明確でないまま危険視され患者の 意思に反しても施設に監禁することが精神医学にも必要で法的にも正当化されていること、また患者はその診断や診断過程、診断によって正当化された治療を拒否する ことができず、そのような同意を得ないままの診断や治療が行われていることは暴行に等しいという(精神神経学会 1976:308 )。
『精神病が古来より政治的あるいは社会によって社会的弱者や少数民族を差別するために利用されてきたことは 歴史的に明らかであり、中世末期からルネサンスにかけてのヨーロッパや近世のアメリカニューイングランド地方に おいて「悪魔懸(つ)き」や「魔女狩り」という形で人々が弾圧されたり、 ドイツ、バイエルン国王であったルートヴィヒ2世が狂人と宣告されたため王位を剥奪されたといった事、 さらにはフランス革命で活躍したテロワーニュ・ド・メリクールが晩年、発狂したとして精神病院に入院させられ 晩年を終えたといった事が有名な事例である。 こうした中で統合失調症が数ある精神病の中で最も政治性、意図性が高い病気と言えよう。 以下においては、統合失調症の政治性、意図性に焦点を絞りって解説したい。 統合失調症の典型的症状とされる、「妄想」の具体例として「誰かに追いかけられている」、「誰かに見られている」、 「誰かが悪口を言っている」などの症状があげられる。一般市民も「誰かに追いかけられている」、 「誰かに見られている」、「誰かが悪口を言っている」「幻聴が聞こえる」などと考える人は 統合失調症の患者であると考える傾向が強いが、それがどのような科学的根拠に基づいているか明確ではない。 19世紀後半のヨーロッパでは当時、近代国家が成立し、中央集権国家やそれに基づく官僚制が整備され、 自由権が保障されたゆえに大規模な犯罪行為が可能になった市民に対する監視体制が確立していった時期であった。 時同じくして確立された大衆民主主義は大衆に選挙権を与えるが故に、大衆迎合を生み出し、 例えばヒトラーやムッソリーニ、スターリンの台頭のような軍国主義的な政治家や独裁者の台頭によって 民主主義の終焉をもたらす可能性があるため、資本主義と民主主義を守るための必要悪として危険思想や 危険な行動を取る資質を持つ人物を統合失調症により隔離・無害化する事が19世紀以降、歴史的に行われてきた。』
単科精神科病院はご存知の通り警察に連れてこられるような人も多い だから裏の精神医療の仕組みが治すように基本的にできていない 表に出して懲らしめたくても懲らしめられない犯罪者を精神病にして悩ませて苦しめる所なんだよ 総合病院精神医学リエゾン精神医学心身医学の方がまだまともと言える 主治医が裏テクノロジーで病気を作っているから精神科は特に主治医との相性がめちゃくちゃ重要なんだよ
精神科の薬を抜く上で最も重要なポイントはどの精神科医が主治医のときに薬を抜くかである 相性の悪い精神科医や相性の悪い病院で薬を抜こうとしても精神科医は再発させるだろう 相性の良い精神科医が主治医だとあっさり薬を抜けてしまったりするものである
先進国では異常犯罪者を周りに分かるように懲らしめると批判を浴びるから 単科精神科病院で表に出して懲らしめたくても懲らしめられない異常犯罪者を周囲に分からないように懲らしめるようにできている 精神科の看護師なんて視界に投影する医療技術で医師の指示通りに振る舞うだけだから 主治医と相性良ければ看護師全員が優しいのである 医師の指示は絶対でコメディカルは勝手な事はできないここが精神医療の特殊なところだ 単科精神科病院は異常犯罪者に懲罰を与えるところだから総合病院の精神科に行け
「残基的ルール違反者が公けにレッテルを貼られる時に生じる危機のなかでは逸脱者は被暗示性が高くなり、 申しだされた狂気の役割を唯一の代替策として受け入れるかもしれない ……残基的ルール違反者が精神障害の枠組みのなかで自分の行動を組織化し、 彼の組織化が他の人びと、特に医師たちのような威信のある他者たちによって妥当化される時、彼は「ひっかけられ」て慢性的な逸脱の経歴をたどって行くであろう」(pp.88-89) https://archive.is/vItZC 精神鑑定によって、どのようなタイプの対象が出現するのでしょうか? 精神鑑定は、裁判に介入する目的として、また、刑罰の目標としてどのようなタイプの対象を裁判官に提出するのでしょうか。 先ほど紹介したテクスト−他のテクストを紹介することもできます。 私は一九五五年から一九七四年にかけての精神鑑定書をひと揃い手に入れました。 精神鑑定によって出現し、犯罪に貼りつけられ、犯罪の裏地ないし分身となるような、 そうした対象といえば一体どのようなものなのかと言えば、 それは、「心理的未成熟」、「ほとんど構造化されてない人格」、「現実に対する不的確な判断」などといった、 それら一連のテクストの中に絶え間なく見いだすことのできる諸概念です。 実際私は、以下のような表現を見つけました。すなわち、「極度の情緒不安定」、「深刻な感情の混乱」、 あるいは、「補償」、「想像上の創作」、「倒錯的な戯れ」、「ヘロストラトス症」、「アルキビアデス症」、「ドン・ファン症」、「ボヴァリスム」などです。 要するに、精神鑑定は、犯罪の心理学的かつ倫理的な分身な構成を可能にする、ということです。 つまり、精神鑑定は、法典に明記されたものとしての違反行為をそれとして認めず、 その背後に、弟あるいは妹のようにそれに似ている分身を、もはや法律が定める違反行為としてではなく、 生理学的、心理学的、ないしは道徳的ないくつかの規則からの逸脱として、出現させるのです。 ミシェル・フーコー講義集成〈5〉異常者たち (コレージュ・ド・フランス講義1974‐75) 18p.
生政治(Bio-politics) 現代社会の支配体系の特徴として、例えば政府等の国家が市民を支配する際に、単に法制度等を個人に課すだけではなく、 市民一人ひとりが心から服従するようになってきたとして、個人への支配の方法がこれまでの「政治」からひとりひとりの「生政治」にまで及ぶようになったと説明する。 これを「生政治学(Bio-politics)」という。これはフーコーの著書『監獄の誕生』の中で言及される主要な概念のひとつで、この例を示すために、「パノプティコン」の例がよく使われる。 近代国民国家の支配の方法として、法制度といったものを「外的」に制定するだけではなく、法制度を「倫理」として各個人の「内的」な意識レベルまでに浸透させるようになってきたと説明する。
生-権力 フランスのポストモダンの哲学者フーコーの用語。 近代以前の権力は、ルールに従わなければ殺す(従うならば放っておく)というものだったが、 近代の権力は、人々の生にむしろ積極的に介入しそれを管理し方向付けようとする。 こうした特徴をもつ近代の権力を「生-権力」とフーコーは呼ぶ。 こうしたフーコーの権力論は、近代になって個々人の自由が広く認められるようになったという一般的なイメージを覆し、 近代を個々人を巧妙に支配管理する権力技術が発達してきた時代として捉えるものだった。
■思想と政治体制について 精神医学と収容所について 立命館大学生存学研究センター 天田 城介 周縁的な人間の監視=矯正へ 「金持ちと貧乏人の断絶」から「民衆と周縁的な人間の断絶」への書き換え。18 世紀における資本主義体制の成立とともに、経済的規律が課 せられ、民衆は労働に従事し、多少なりとも財を蓄積するようになると、非合法的行為を容認できなくなっていくと同時に、精神医学・警察・ 司法・刑法体系などが結合した統治システムによって「周縁的な人間の監視=矯正」が遂行されていく。こうして周縁的な人間たちが監獄や 精神病院といった施設へと分離的=差別的に収容されるようになると、かつては歓迎されることさえあった周縁的な人間は民衆と断絶させられ、 また他の下層民とも切り離されていく――プロレタリアートとプロレタリアート化されていない周縁的存在を分け隔てる分断――。そして、 こうした統治システムのもと「周縁的な人間の監視=矯正」が実効されるだけではなく、むしろその圧倒的な効果は、周縁的な人間と切り離さ れた民衆に対する監視=矯正となって現れてくるのである。したがって、「周縁的な人間」を作り出すことは「周縁的な人間の監視=矯正」よ りもむしろ「民衆の保護と監視=矯正」の効果を生み出すのだ。 こうした権力システムのもと民衆は「社会階層」のイデオロギーを発展させた。犯罪者という「周縁的な人間」を切り離し、彼/女らに敵意 ・憎悪を向けるようになった。警察による保護さえ求めるようになった。そのことで、民衆は警察から容易に監視されることになった。犯罪者 に対して厳罰を求めるようになった。「人種差別反対をしながらも犯罪者には極めて冷酷な対応をする」(Foucault 1994d=1999: 249)ように なった。その社会的帰結として、権力はいとも簡単に民衆を統制することになったのだ8)。
社会全体がひとつの精神病院となり、私たちはそこに収容された囚人となる。そこでは精神医学という専門家の知識が権力をもつことになる。 今回とりあげる、ミッシェル・フーコー(Michel Foucault 1926-84)の描く近代とは、まさにこうした、知識によって管理された、一種の収容所のごとき世界です。 近代となって逸脱者への対応はより巧妙になりました。逸脱した者は排除されるのでなく、おもてむき、社会へ回復することになります。 社会は逸脱者を自己のうちに回収することで、逸脱者を無害なものとします。社会は逸脱者を「更生」・「治療」と称しつつ自分の管理下に集めるのです。 社会はもはや逸脱者から脅かされることもなければ、そこから学ぶこともありません。こうして社会にとって危険な逸脱者(犯罪者と精神病患者など)は、 排除されるのではなく、社会の内に、しかしその周辺に集められ、包み込まれて無害なものとされるのです。社会はその外部をみずからの内にとりこんだのです。 刑法は犯罪者をその違法行為においてとらえますが、監獄の技術は囚人をその生活態度においてとらえます。 前者では違法性が問題とされますが、後者ではその非行生が問題とされます。刑法の建前では、監獄は犯罪者を更正させることになっています。 しかし実際には監獄はその特殊な環境によってむしろ「非行者」を生み出し、あらゆる違法行為の可能性を持つ者として社会に循環させているのです。 それゆえ、監獄制度の真の意義は、違法行為を減らし、抑制することではなく、 社会の転覆や不安につながるような犯罪の可能性を「非行性」として管理し安全なものとして閉じ込めることにあるのです。 [それはちょうど、精神病院のありかたに似ています。精神病院はたてまえとしては精神病患者の治療をするためにあります。 しかし患者を閉じ込めることでかえって患者の社会への不適合を生み出してしまいます。 実際には精神病院は、社会不安を引き起こす者たちの閉じ込めと管理をしているというべきでしょう]。 https://shakaigaku.exblog.jp/21000984/ http://archive.is/GEFMi フーコー権力論における4つの諸相 1.言説編制体を経由した権力の行使:社会の権力行使のタイプ 2.系譜学的アプローチを使った「権力の意味理解」への反省:権力への系譜学的探究 3.権力行使を微視的に観察するミクロロジーという方法:権力行使の分析法 4.身体を規格・規範化を通して「従順な身体」へと構成すること:身体を統治する 「権力というものを、否定と拒否と排除のメカニズムの総体だと考えてはならないことを想起する必要があります。権力は実際に、作りだす力をもつ ものなのです」(フーコー2008[June, 1975]:30) 医療における権力論の研究は、ミッシェル・フーコー(Michel Foucault, 1926-1984)の、生権力や統治性の 議論が登場して根本的な変化を 遂げました。 それまで、医療について考えられてきた権力像は、患者をコントロールするむき出しの力、患者をモルモットにす る服従を強制する権力というのが定番でした。 今でも、このような権力論の図式にのっかって、「医者は権力を行使するからリベラルでなければならない」 「医 師の権力は神聖」(→医療聖職論)ということを主張する主に高齢者を中心としたお目出度いオールド・リベラストの方々がおられます。 ところが、権力の作用の多様なあり方や、統治性(governmentality)に かんする フーコーの議論に触れたものは、 権力というものは、我々が考えるほど(1)狭い範囲の出来事ではない、(2)容易に統御されるものではない、しかし、かと 言って (3)人間をがんじがらめにする絶望的なものでもない、という認識に到達しつつあります。 「真理には権力が伴う」「私たちは誰もが、権力のターゲットであるだけでなく、権力を結ぶ結節点(リレー)であり、ここからある種の権力が発揮されるからです」(フーコー2008[June, 1975] https://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/000316helpoli.html >>30 こうした統治システムのもと「周縁的な人間の監視=矯正」が実効されるだけではなく、むしろその圧倒的な効果は、周縁的な人間と切り離さ れた民衆に対する監視=矯正となって現れてくるのである。したがって、「周縁的な人間」を作り出すことは「周縁的な人間の監視=矯正」よ りもむしろ「民衆の保護と監視=矯正」の効果を生み出すのだ。 >>31 社会全体がひとつの精神病院となり、私たちはそこに収容された囚人となる。そこでは精神医学という専門家の知識が権力をもつことになる。 今回とりあげる、ミッシェル・フーコー(Michel Foucault 1926-84)の描く近代とは、まさにこうした、知識によって管理された、一種の収容所のごとき世界です。 >>32 「私たちは誰もが、権力のターゲットであるだけでなく、権力を結ぶ結節点(リレー)であり、ここからある種の権力が発揮されるからです」(フーコー2008[June, 1975] 精神科医は患者と関係する人物全員日本のどこに居ても心理を表示でき本人たちに無自覚に脳を操作し人間関係をコントロールすることもできるのである 患者と街中ですれ違っただけの他人の心理を表示するだけではなく脳を操作することもできる 精神科医と相性がよければ家族関係はもちろん良好だし近隣住民との人間関係も良好にできるのである 発達障害の人で何回職場を変えてもなぜか偉い役職の上司にばかり嫌われるなんて言う人がいるがこれは精神科医の仕業だろう 精神科医は人工衛星から日本中の人間の心理を表示し本人達に無自覚に脳を操作できるのである 人間への印象も精神科医は入れ替えることができるのだ シゾだけでなくうつ病などの患者でも病気になる前と性格が変わったという話をよく聞くが それは精神科医が他言無用の医療ツールで医師自身の意志で治療した結果なのである 病気になる前と、知能、意識の鮮明度、思考スピード、記憶力、ワーキングメモリ、感情、コミュニケーション能力、物事から感じる印象や雰囲気 人間関係なら自分も相手ももともとそんな性格だったか人間への印象を変えることもできる 現代医療の社会学-日本の現状と課題にも記してあるとおり精神科医は患者の全存在を診ている 断薬しても機密医療技術のパルスで脳を作り変えられていたら戻らないだろう 主治医を変えずに断薬や薬の調整を考えていては精神科医の掌の上である 絶望する必要はない主治医を変えれば何もかも変わる人生が変わる 精神科は日本の法律の外にあって社会にとってどんな危険な逸脱者や政治犯でも潰して懲らしめる事ができるようになっている 治外法権なので精神科医はやりたい放題だ だからこそ重症患者にこそ相性のいい(まともな精神医療を行っている)主治医を探してほしい 性格や知能やコミュニケーション能力等々前述した事も精神科医に治す気があればいつでも元に戻せるからだ
精神科病院よりも総合病院の精神科のほうが治る見込みが大きい なぜなら精神科病院から最も遠いところにあるのが総合病院の精神科だからだと精神科医の斉尾武郎の本に記してある 精神科医のkyupinのブログにも単科精神科病院よりも総合病院の精神科のほうが少しだけ治る期待が大きいと記してある 総合病院の精神科を10年以上経験している精神科医がもっとも当たりの先生である確率が高いと 和田秀樹の精神科医は信用できるかという本に記してある
精神科医が患者の病気を機密医療技術で自由自在にコントロールしているので 当然重い患者が多い病院へ通院していたら自分が重い患者にされる危険性が高いし 軽そうな患者ばかりの病院へ通院していたら自分も軽い患者にされる可能性が高い メンクリでもここは緊張している患者が多いなとかここは錐体外路症状が出ていてキワモノみたいな患者が多いなとか ここは健常者のような普通の人しかいないなとか外来を見るだけでもそこの精神科医がどういう精神医療を行っているか分かるのである
精神科医が病気を作っているので精神科医の人間性が患者の病気ひいては人生を左右する 名古屋大学医学部精神科のウェブサイトには 「サイエンスとアートの共存を目指して」と書いてある これは科学技術により患者の心身から人間関係まで何もかも変えることが可能であり そのため精神科医が精神医学の掟に則って患者の病気を細部までデザインすることをアートと言っているのである
「分裂病」という「状態」など存在しはしないのです。分裂病というレッテルが貼られることは一つの社会的事実であり、 この社会的事実とは一つの<政治的出来事>なのです。社会における市民的秩序のなかでおこっている、 この政治的出来事は、レッテルを貼られた人間の上に定義と結論を押しつけます。分裂病というレッテルを貼られた人間は、 彼に対して責任をもつべく法律的に是認され医学的に権能を与えられ道義的に義務づけられている他者の監督下におかれますが、 こういった一連の社会的行為を正当化しているのは、社会の指令なのです。レッテルを貼られた人間は、 家庭、家庭医、精神衛生関係官、精神科医、看護婦、ソーシャルワーカー、 そしてしばしば仲間の患者たちまで加わっての一致した連携(「共謀」)行為によって、 患者という役割のみならず、患者としての人生の道程を歩みはじめさせられるのです。 R.D.レイン『経験の政治学』(128p.)
ウェーバー=他者をその意思に反しても行動させる バクラックとバラッツ=非決定権力。ある争点を議題にのぼらせないようにする。 ルークス=三次元的権力。本人に意識させないまま認識や思考を形成する。 フーコー=監獄の誕生。権力作用を受ける者が自ら規律。
なぜ総合病院の精神科がいいのか? 単科精神科病院は逸脱者を精神病の症状で懲らしめて患者を悩ませる事に特化した精神科医の集まっている病院だから 患者にデタラメな精神症状や社会的構成を付加する精神科医がいても他の精神科医はスルーすることが多い ところが総合病院の精神科は精神科医より立場が上の一般科の医師が沢山いて院長も一般科の医師である 一般科の医師の目があるので精神科医は患者をデタラメな精神症状にしたりできない そのため断薬も総合病院の精神科の方が成功する確率は上がるだろう 断薬した後にどういう精神状態にするか断薬成功させてあげるかも主治医が決定しているからだ
勤務先が大病院かどうかに至っては、精神科や心療内科に限っては「ほぼ逆」なのではないかという印象すらあります。 この領域では、大学病院や国立病院は必ずしもお勧めできないというのが、残念ながら率直な印象です (詳しい理由は、別の機会に書きたいと思います)。 福島哲夫 (大妻女子大学 教授) 相性について(2)ー医者と患者の相性とはー https://megalodon.jp/2021-0515-2144-18/https ://www.seijooffice.com:443/2015/02/02/%E7%9B%B8%E6%80%A7%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6-%EF%BC%92-%E3%83%BC%E5%8C%BB%E8%80%85%E3%81%A8%E6%82%A3%E8%80%85%E3%81%AE%E7%9B%B8%E6%80%A7%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%83%BC/ 中国やポーランドのニュースなど昔から交通事故に遭うと盲目だった人が目が見えるようになったという話を世界各地で聞く なぜそんなことが起きるのか医師は患者を主体化して自由自在に表向きないことになっている 機密医療技術で操作できるので目が見えないなんてあまりにもかわいそうだと思った良識ある医師が治してあげるのだろう つまり交通事故に遭うと目が見えるのではなくそれに伴う入院時に医師が視界に投影する医療技術で 視界のボタンをポチポチ押して人体を操作して目が見えるようになるわけだ https://switch-news.com/goodnews/post-43728/ 先進国では異常犯罪者を周りに分かるように懲らしめると批判を浴びるから 単科精神科病院で表に出して懲らしめたくても懲らしめられない異常犯罪者を周囲に分からないように懲らしめるようにできている 単科精神科病院は異常犯罪者に懲罰を与えるところだから総合病院の精神科に行け
精神科医に転院を申し出ると渋ったり中には怒り出す先生もいるだろう 何かしらの理由をつけて転院させないようにしたりする先生も多い なぜ転院を精神科医は嫌がるのか? 主治医が変わってしまったらその患者の病気をコントロールする権限を失うからである 転院すれば新しい先生がその患者の病気をコントロールすることになるので 当然精神症状も薬の副作用の出方も変わってしまうし病気の予後も変わる なので転院の話になると態度が豹変する精神科医が多いのである
ここには患者のふりして、薬を売ってる男性がいるから気をつけて
そして統御すべき相手は狂人です。先ほど私は、フォデレによる狂人についての興味深い定義、すなわち、自分が「誰よりも優れている」と信じている者、という定義をご紹介しました。 実は、十九世紀初めの精神医学の言説と実践の内部において、狂人はまさにそのような者として現れるのであり、そしてここに、すでにお話したことのある大きな転換点、大きな裂け目が見いだされます。 つまり、狂気を定義するため、狂気を指定するための、錯誤という基準が消失するということです。 ミシェル・フーコー講義集成〈4〉精神医学の権力 (コレージュ・ド・フランス講義1973-74)
デビッド・クーパーは言う。「すべての妄想は政治的な宣言であり、すべての狂人は政治的な活動家である」。 セドウィック、ミッチェル、グライス、ヤコビィ等はいずれも次のような異議を唱えた。 社会の犠牲者をこのように「ロマン化する」ことは、一貫した合理的な政治活動のための真の要請から目を逸らせてしまうことになってしまうそして彼らを助けることにもならない。 だがほとんどの人々は結局自分自身を治療に委ねてしまうのである。これはまさに、何が起こっているかを人々が理解しないが故に生じることなのである。 批判的精神医学 : 反精神医学その後 D.イングレビィ編
〔仮説1〕精神分裂病になる人はこれから述べるような誤った信念に至る誤った訓練を重ねた人である。 a.自分の欠損のためや、外界の敵意のために、あるいはその2つのためにこの世の中に自分の生きる余地はないという確信 b.何か特別な状態とか地位を勝ち取らねばならないという確信。そうすることによって、分裂病者はあらゆる欠損から解放され、満足な人生を味わえると考えている。 この特別な状態や地位はきまって誇張された目標である。このような状況を乞い願うことだけが分裂病者に生きる余地を与えるのである。 したがって、その目標は柔軟性に欠け、完全か無かといった特徴を持ち、完全な満足を求めがちになる。 また、分裂病者にとってその目標の代理になるものはなかなかありえない。 c.この目標を達成する過程に、どんなささいな失敗があっても、あるいは失敗が予想されるだけでも、 それが自分の欠点を克服しようとする死にものぐるいの試みをすっかり挫折させ、自分の人生をダメにするに違いないという確信。 このように普通の人ならある程度の失望に耐えられるけども、分裂病者はわずかな失敗に対しても非常に敏感なのである。 分裂病者は欲求挫折の閾値が低いとか自我が弱いと言われている。 分裂病者が自分の人生にわずかな失敗もあってはならないと考えるのは、その失敗によって人生全体が壊れてしまうと思っているからである。 d.常識とか、社会的活動への参加とか、社会が機能するために必要な規則とかのすべてが自分の選んだ目標を達成するのに邪魔になるという確信。 目標をうまく達成したり、失敗を避けるためなら目標以外のことはすべて無価値なものとしてしまう。 したがって、よい人間関係、社会習慣、性、健康、あるいは人生そのものでさえも自分の目標を追求することに比べれば無価値なものにすぎないのである。 分裂病者は他の人と同じになっても、自分の目標のためにはなんら役立つことはないと思っているので、他の人とは違う人になるように自分自身を持っていく。 精神分裂病者への接近―目的論的見解とその実践 (1978年)バーナード・H.シャルマン/坂口信貴
〔仮説2〕一般に受け入れられ役に立つと思われている常識にそって自分の目標を達成しようとしても、 自分のおかれているありのままの現実状況がそれを許さないことに気づいた時、危機がやってくる。 常識や合意性は自分の目標を達成するのに邪魔になるので放棄される。この瞬間、分裂病者は常識の世界に別れを告げることを決心する。 これがさきざき精神病への転落につながる決断である。この時点で、分裂病者は他の人と同じように生きていくことを放棄しているのである。 〔仮説3〕常識を放棄してしまうと、自由に自己本位の論理を発展させ、自分は人よりも優れているのだという目標に到達したり、 あるいは、ゆくゆくは到達できるであろうという空想をこしらえることができる。 精神分裂病者への接近―目的論的見解とその実践 (1978年)バーナード・H.シャルマン/坂口信貴
不幸にも、「バベルの塔」(ノアの大洪水の後、バビロンの古都に、人びとが天まで届くようにと、塔を建てはじめたが、 神の怒りにふれて言葉の混乱が起こりついに完成されなかった聖書にある伝説)を築くために日時を費やし、結局は混乱状態に陥ってしまう。 この新しい世界観と、おそらく神聖な性格をおびざるをえない新しい人間性とを両立させるなどという試練に成功する人はまずいないであろう。 精神分裂病者への接近―目的論的見解とその実践 (1978年) (現代精神分析双書〈第2期 第3巻〉)バーナード・H.シャルマン/坂口信貴
結局主治医との相性の重要性に気づいても患者にできることは 主治医変えるか謝礼を持って行くかくらいしかできることはない もし主治医との相性の重要性に気づいていてまだ謝礼を持って行ってないなら持って行く価値はある 看護師とかのコメディカルは病気をコントロールする権限ないから持って行っても無意味だぞ
>>55 どれ程の高齢の名医に頼むのか知らないけど そんな貢物で手心加えるような医師は名医じゃないからおすすめしない でもそういうのに慣れてる医師はいつもどうも、って言って普通に渡せば普通に受け取るよ 頂戴しても他の患者と同じですよ 軽い鬱やADHDならいざ知らず統合失調症は断薬無理だよ 統合失調症の人が薬やめるのは危険だから主治医の指示通りきちんと飲み続けるべきだね
10年間1日も欠かさず服薬し続けた結果がこれかと思うと悲しい… 服薬してなかったらもっとひどい事になるんだろうけど
2南に入院した時山本って言う介護士?が声がでかいわ平気で人の愚痴言うわ、乱暴だわでほんと最悪。しょっちゅうそういうことばっか言ってるから録音したい。
近代医療のもたらす弊害について、きわめてラディカルな見方を示したのがイリイチ(llich,1976)である。 イリイチは医療が社会統制の主要なエージェントとなることによる弊害を「医原病」(Iatrogenesis)という言葉で表現する。 医原病とは文字通り、「医療に原因がある病気」という意味であり、 「医療そのものが健康に対する主要な脅威となりつつある」というイリイチの基本的認識を表す造語である。 彼によれば、医原病には「臨床的」、「社会的」、「文化的」の三つの種類がある。 「社会的医原病」は、個人の生活のさまざまな領域が医療の管理化におかれる結果、 ひとびとの「不快と痛みに対する許容性を下げ、個人が苦しむ際にひとびとが譲歩する余地を低下させ、 自己ケアの権利すら放棄させることによって不健康を作り出す」ことを指す。 つまり、医療の守備範囲が拡大することにより、個人が「自らの内部の状態と状況に対する制御力を奪われてしまう」のである。 生活の少なからぬ部分が医療の直接、間接の管理下におかれ、自己決定できる部分が相対的に縮小していくことを問題にしている。 社会的医原病が、自己制御や自己決定の能力の衰退を問題にするのに対し、文化的医原病は、忍耐や受苦の能力の衰退を問題にしている。 さらに、イリイチは、この問題を医療だけでなく専門家一般に広げて議論を展開する。そして、 現代を「ひとびとを無能力化する専門家の時代(The Age of Disabling Profession)」と名付ける(Illich,1978)。 「無能力化」とは「ひとびとの能力を奪う」という意味であり、さきほど述べた自己決定能力や忍耐能力の衰退のことを指している。 「この時代は、ひとびとが「問題」をもち、エキスパートたちが「解答」をだし、科学者たちは「もろもろの能力」とか 「もろもろの必要」とか本来測定しえないものを数量化しようとした、そういう時代」だというのである。 それではどうしてこのようなことが起こったのか。 「専門職がこんなに支配的になり、ひとびとが無能力化するようになったのも、エキスパートがひとびとに押し付ける不足(lack)を、 ひとびとが実際に必要なものとして受け止めるようになっていった」からだとイリイチは述べる。 20050125, 『ナラティヴの臨床社会学』勁草書房.(pp158-161)
医学部医学科の格付け SSS 東京大学(理科三類) SS 京都大学 S 大阪大学 慶応義塾大学 --------------- 東大理一の壁 --------------- A+ 東北大学 東京医科歯科大学 千葉大学 名古屋大学 京都府立医科大学 九州大学 A- 北海道大学 東京大学(理科二類) 横浜市立大学 大阪市立大学 神戸大学 岡山大学 B+ 筑波大学 金沢大学 広島大学 熊本大学 防衛医科大学校 B- 新潟大学 名古屋市立大学 奈良県立医科大学 長崎大学 自治医科大学 東京慈恵会医科大学 --------------- 京大上位学部(薬学部・理学部)の壁 --------------- C+ 群馬大学 信州大学 岐阜大学 三重大学 和歌山県立医科大学 鹿児島大学 順天堂大学 C 弘前大学 鳥取大学 山口大学 徳島大学 日本医科大学 大阪医科大学 C- 札幌医科大学 福島県立医科大学 山梨大学 浜松医科大学 滋賀医科大学 産業医科大学 関西医科大学 --------------- 京大工学部の壁 --------------- D+ 山形大学 富山大学 福井大学 香川大学 愛媛大学 大分大学 昭和大学 東京医科大学 D- 旭川医科大学 秋田大学 島根大学 高知大学 佐賀大学 宮崎大学 琉球大学 日本大学 東邦大学 --------------- 京大農学部、東工大の壁 --------------- E+ 岩手医科大学 東北医科薬科大学 東京女子医科大学 国際医療福祉大学 近畿大学 福岡大学 久留米大学 E- 独協医科大学 埼玉医科大学 北里大学 杏林大学 --------------- 早慶理工の壁 --------------- F 帝京大学 東海大学 聖マリアンナ医科大学 愛知医科大学 藤田保健衛生大学 金沢医科大学 兵庫医科大学 川崎医科大学 --------------- 上智理工、理科大、同志社理工の壁 ------
同じ薬でも処方する医師によって薬の効き方が違う 全く異なる場合もある それはなぜか?医師が身につける機器を必要としない視界に直接投影する医療技術で薬の作用を個々人毎に決めているからである
>>1 特定の精神病院を名指しするわけではないが、一般的に意図的に精神病院送りにする話はある >生活安全部 >出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 >組織(警視庁) >生活安全総務課 > ・庶務係(課内、部内の庶務)、生活安全企画係(生活安全警察企画、生活安全特別捜査隊運用)、生活安全管理係、法令指導係、生活安全教養係 > ・生活安全対策第1係(防犯団体連絡、精神障害者・浮浪者及び行路病者保護、虞犯者、特殊地域防犯対策)、生活安全対策第2係(法規・法令関係)、生活安全対策第3係(地域防犯関係)、生活安全対策第4係(その他防犯対策) 生活安全総務課は防犯パトと精神障害者問題の両方を担当。警視庁に限らずどこでも同じ構造。 そして、生活安全総務課は 1.防犯パトロールの不審者、万引き犯、要注意人物のリストの管理・作成および防犯ネットワーク網への再配信をしてる。 一方、精神障碍者リストも管理してる。 2.ターゲットを不審者情報に不正登録 3.登録したらターゲットへガスライティングを行ってる。 そのガスライティングは執拗な嫌がらせ行為でストレスをため込ませて、以下の末路となってる。 ・心身に支障をきたして傷害罪、自殺強要 ・被害を第三者に訴えると精神病院で統失や妄想性障害と認定 ・犯罪煽りのガスライティングで事件を起こすと、警察官の通報で措置入院させられ統失などの診断書が下る。 4.これらガスライティングを防犯活動だと騙して民間人に教唆してるのが生活安全警察である。 >>68 続き 警察がガスライティングを行い、ターゲットを精神病院送りにするカラクリは以下のように考えられている 爆サイ.com > 山陽版 > 山口雑談総合 > NO.2742732 2013/07/28 16:27 コンビニ店員だけど、警察官に変な依頼された。 https://bakusai.com/thr_res/acode=8/ctgid=104/bid=119/tid=2742732/ #372 2021/10/22 08:36 > >>0 > 一応指摘しておく > 警察官が市民に対し、拷問を加える事は、憲法で禁止されている > 日本国憲法第36条 > 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。 > 警察官が依頼して行わせている防犯協力の内容は、ただの嫌がらせではない > 隠蔽目的の為に、被害者が被害について語った時、周囲に精神障害者と誤解させる事や > >>0以降に投下された情報には含まれていないが、被害者の周辺人物を協力者として取り込み > 防犯活動と称し、被害者に精神障害だから精神病院に行くよう働きかけよとの指示を出して > 精神病院に行かせる事で、精神科への通院歴をつけて、証言の信憑性を低下させ > 並びに、精神障害者にでっち上げて、社会的に抹殺しようともしている > 警察官によるこんな行為を合法・合憲とする法律等、どこにもない > 恐らく協力者には、警察官が、対象者を精神障害者だとでも吹き込み > 精神病院に行かせて治療を受けさせる事が本人の為にもなる等と欺き > それでそのような行為を行わせているのだろう 以下へ続く >>69 続き > この問題の背後には、警察幹部が勝手に市民を精神障害者として公文書に捏造登録し > その捏造登録が発覚すると、不祥事となり、警察幹部が懲戒免職処分となるので > その事態を防ぐ為、警察官が決めつけで精神障害者にでっち上げた人物に対し > 上述の手法で精神病院に行かせて、精神障害者にでっち上げる事によって > 警察幹部によるでっち上げ捏造登録との整合性を取り、不正を隠蔽している疑いもある > 要するに警察にとって邪魔な存在を社会的に抹殺する企てとしても > 使用されているという事だよ > [匿名さん] つまり、統失の診断書を出せば、不審者と精神障害者への不正登録・公文書偽造を隠蔽できるから。 それで、なぜこんなことをするかというと、防犯協会等の天下り先などの防犯利権拡大、警察の肥大化がある。 そのために、防犯名目で民間人を取り込んで、犯罪煽りをしてターゲットに事件を起こさせ検挙実績の水増しがある。 事件が起きれば、防犯の必要性を声高に叫ぶことができる。 また、検挙されると場合により措置入院させられ統失などの診断書で裁判での証言能力を失うと共に入院させられる。 仮に、事件を起こさせなくても、ターゲットが病院で被害を訴えると心象内科などへ誘導され、統失の診断書と薬漬けや入院となる。 ただし、これをやるためには警察と精神病院が癒着している必要があるの。 特定の精神病院を名指しするわけではないが、 それで、所轄の警察署が管轄する範囲になる民間の精神病院と癒着してる疑惑がある。 今や、怪物的な狂気は「自由意思」を伴わないという理由で「法」の外部に放逐される(刑罰免除)ことはない。 精神鑑定の導入は、法の対象を行為から行動様式へ、犯罪から存在様式へと移行させることを可能にし、 そしてその存在様式をまさしく犯罪そのものとして出現させる[13]。 リストによって、「刑罰の目的は法益保護にあり、犯罪予防機能にある」と主張されるとき、 また医学的知と司法的知が折り重なる制度的混成が形成されるとき、そこにおいて差し向けられるもの、 それこそが「危険」、そして「倒錯」である。 そうした制度の全体は、危険人物という、正確には病人でもなければ文字通りの犯罪者でもないようなものに対して差し向けられます。 精神鑑定において、鑑定医が診断を下すべき対象、すなわち、その尋問、分析、診断において鑑定医が対決する相手とされるのは、危険となりうるような人物です。 したがって、互いに向かい合い、互いに極めて近接した二つの概念があるということになります。 すなわち、一つは「倒錯」という、医学的な諸概念の系列と法的な諸概念の系列とを縫い合わせる概念であり、 もう一つは、「危険」ないし「危険人物」という、医学的かつ司法的な諸制度の間断なき連鎖の存在を正当化し理論づける概念です。危険と倒錯。 これらの概念こそまさしく、法医学鑑定のいわば本質的な核であり、理論的な核である、と私は思います。[14] 治療という医学的審級から監獄そして極限においては死刑という刑罰制度へと至る連続体が社会全体を貫いたときに現れるカテゴリー、 それこそが「危険人物」なのである。前々回で述べたことの繰り返しになるが、非行者は、リスクという観点から、 すなわち社会にとって「危険」な人間であるか否かという観点から分析と解釈の対象となるのである。 社会は異常者たちから防衛されなければならない http://s-scrap.com/3697 https://archive.ph/YzXm2 ■小澤 勲 19750325 『呪縛と陥穽――精神科医の現認報告』,田畑書店,201p. 1100 ASIN: B000J9VTT8 [amazon] ※ m. 「精神病質概念が、その本質において価値的、階級的、政治的概念である(このことは疑いもなく真実である!)が故に医学的概念ではないとい う論法をもってすれば、たとえば精神分裂病概念もまた医学的概念ではないのである。問題は医学的概念であるか、ないかではなく、事実、医学的 概念として用いられている諸概念が医学の名のもとにいかに機能しているかということなのである。」(小澤[1975:134]) 「昭和五〇年の精神神経学会総会は「戦後日本の精神医学・医療の再検討」と題しながら、「精神分裂病とは何か」というテーマにほぼ半日分の 日程をさくことになっている。だが、「精神分裂病とは何か」という問いは、過去の代表的な問い方である。そして、このような問い方こそ、解答 のすべてを誤らせたものであったと、今、われわれははっきりと宣言しよう。われわれの問はこうでなければならない。「誰がいかなる都合で精神 分裂病というレッテルを必要としたのか。[…] なぜにかかる非論理が論理としてコンセンサスを得るにいたるのであろうか。それは、上の文脈を逆にたどればよいのだろう。つまり、まず「ある 一群の人間を人間以下の生物に転落させる必要性」が「社会的要請」として存在し、「必要性」を「必然性」にすりかえるために「生物学的過程」 が要請され、かかる要請を基盤にその要請を証明するべく、ある一群の人間にスティグマが「発見」されるという手順である。[…]
そんなことより治験を語ろう この間のベーリンガーインゲルハイムのあれはどうなった?
アメリカに行った留学生等が直面している議題 即ち「国民をトランキライザーで脅迫して得た医学的成果とどのように向き合うべきか」 でありますが、テンプレ的には 「医学とは生き残った者が語る学問であり、それが特異点を超えたら結果は自ずと歴史に刻まれるでしょう」 ぐらいかと
つまり、 医 師 が 癌になったら、われわれの抗癌メソッドが パーキンソン病になったら、われわれの抗パメソッドが 評価はされへんが認可はされ、それが歴史となる
つまり、外国の学生の誤謬、傲慢さ、うぬぼれとは 歴史を制御できると思い込み、実際に謎の操作を敢行しているところ
皆さんに株はお薦めしませんwww 歴史とは細かな現在の変動値が記載されているだけなのです
皆さんはサイカイアトリー体制によって歴史を作ろうとした その結果、歴史がサイカイアトリー構造の中に作られてしまったのです サイカイアトリーの外はもう生きられる環境ではありません
これは重化学工業、電気工学、経営学の闇の側面、サイコロジー・・・ シヴィライゼーションの展開によって必然的にそうなった こ と に な る 後から見るとはそういうことです
この結果、今世紀末には世界大戦になるでしょう。 そこでの講和ラインは「奴隷商に攫われて行く民の存在に気付いてはならへん」 ぐらいだろう
皆さん決まって「逆転移」という言い訳を使うワケですが しかし、逆転移はもうちょっと症例を集め、厳密な議論がなされ、疾患として確立されねばなりませんでした 今のままでは10秒稼ぐだけの言い訳です
そもそも論として逆転移という言い訳が認められへんのは 「陰性症状の逆転移など見たことがあらへん」という強い意見でして 何を言ってるのか判らんレベルがほとんどです
「逆転移」ではありません。 「パラノイア」です。近頃の言い方では「妄想性障害」
精神科医が使い捨てになってはならへんという根拠は乏しく、 「逆転移」が職業病だった と し て も 、 精神科医は消耗品であり、「病気」になったらBANが当たり前なのであります
医師として不適切なコンプライアンスの低さ、 パンピーとしてはハイエストなその給与は 使い捨てならの特徴
それから議論あるいはパーソナリティーには内部標準というものがありまして 例えば、フルフェナジンに対してどのような立ち位置をしているか が、他全ての付け焼刃の議論に対して判断で重みを発生させます
全ての患者は治験を拒否します。 だが患者家族の同意があれば治験は合法。 さて、患者家族が1匹も残ってへん場合、どのようにしたら治験が合法になるでしょうか? これはね〜、違法なんです
実際問題、製薬のレベルは右肩下がり 冷戦の遺産を掘っているだけで成果が出る もう社会は新薬の治験を必要としていません
そして、もう新薬はわたしの手にある。 セロクエルもある。 様様な補助的な薬もある。 投資は報われませんwww
それはな。ジプレキサMACエステルと言って Ki≒100〜200ぐらいの、幾らか免疫学的に問題のある処方 皆様には扱えません。犯罪だからなwwwwwwwwwwwwwwwww
患者を不当に「状態の悪い」状態に留める薬を意図して開発し、 障碍者給付を不当に受給するのを幇助した。 これは詐欺罪なのであります
薬学の教科書からトランキライザーの記載を全部消すように ドラッグストアに行っても「セクトの構成員」が店員やってるなど不愉快だ
トランキライザーとは、戦犯企業I.G.ファルベンがユダヤ人を”制圧”するために開発した技術であり 戦後社会では「善意ある市民」に相応しくあらへん知識だ
精神病院その他の各種施設では、「一見異なる職業がさまざまに並存しているようでいて、すべてを一つにまとめ上げる共通の機能」たる「牢獄の看守という機能」がある。 「すべてそのような職業は、真に犯罪的であるとも、真に病的であるともいえない周縁的な人間存在を監視し、閂のもとに留め置くことをもって共通の機能としている」 (Foucault 1994d=1999:304-325)。要するに、ナチ強制収容所、ソ連の精神病院、フランスその他の精神病院などの施設に共通する機能は「周縁的な人間の監視=矯正」という機能なのである。 もちろん、フーコーの歴史診断と制度分析の知見からすれば、「周縁的な人間を分け隔てる断絶」とは、もともと刑罰システムがあって、 それが次第に医学・精神医学の言語で合理化されるようになったということではなく、もともと精神医学の医学的機能と警察機構の抑圧機能とは深く結び付いた分かち難いものである。 言うまでもなくすべてを一つにまとめ上げる牢獄の看守とは精神科医の事である https://www.ritsumei-arsvi.org/publication/center_report/publication-center14/publication-106/ 医学部医学科の格付け SSS 東京大学(理科三類) SS 京都大学 S 大阪大学 慶応義塾大学 --------------- 東大理一の壁 --------------- A+ 東北大学 東京医科歯科大学 千葉大学 名古屋大学 京都府立医科大学 九州大学 A- 北海道大学 東京大学(理科二類) 横浜市立大学 大阪市立大学 神戸大学 岡山大学 B+ 筑波大学 金沢大学 広島大学 熊本大学 防衛医科大学校 B- 新潟大学 名古屋市立大学 奈良県立医科大学 長崎大学 自治医科大学 東京慈恵会医科大学 --------------- 京大上位学部(薬学部・理学部)の壁 --------------- C+ 群馬大学 信州大学 岐阜大学 三重大学 和歌山県立医科大学 鹿児島大学 順天堂大学 C 弘前大学 鳥取大学 山口大学 徳島大学 日本医科大学 大阪医科大学 C- 札幌医科大学 福島県立医科大学 山梨大学 浜松医科大学 滋賀医科大学 産業医科大学 関西医科大学 --------------- 京大工学部の壁 --------------- D+ 山形大学 富山大学 福井大学 香川大学 愛媛大学 大分大学 昭和大学 東京医科大学 D- 旭川医科大学 秋田大学 島根大学 高知大学 佐賀大学 宮崎大学 琉球大学 日本大学 東邦大学 --------------- 京大農学部、東工大の壁 --------------- E+ 岩手医科大学 東北医科薬科大学 東京女子医科大学 国際医療福祉大学 近畿大学 福岡大学 久留米大学 E- 独協医科大学 埼玉医科大学 北里大学 杏林大学 --------------- 早慶理工の壁 --------------- F 帝京大学 東海大学 聖マリアンナ医科大学 愛知医科大学 藤田保健衛生大学 金沢医科大学 兵庫医科大学 川崎医科大学 --------------- 上智理工、理科大、同志社理工の壁 ------
>>10 10年前に自分の母親の付き添いで行ったことがあるが、ひどい医師だった。 態度は横柄、患者の話は聞かない、MRIの結果も写真を見せて説明もしない、こいつ本当に精神科の医師なのか?と思った。 名前も忘れたのでまだいるかどうか知らんが。 このつついたら割れそうな水風船のような国 君ら精神科医の責任だ。更迭準備よし?
我々の防衛担当部署には敵影は一機も無い 繰り返す。 敵 影 は 一 機 も 無 い
とある精神科医が入院中は主治医との相性あまり関係ないが外来は主治医との相性が強く現れると話していた 入院中は医師複数人の意見が反映された精神状態になるが外来は主治医1人で診る事になる 入院中は安定するのに外来になるとすぐ悪い精神状態になる人は主治医と相性が悪いからほかの先生に変えた方が良い
大学教授に治せない患者を研修医があっさり治してしまうことがあるのが精神科 ベテランの精神科医ほど診察で口先だけ良いこと言って自分にだけは怒りの矛先が向かないようにして 肝心の病気が全然治らないなんてよくあるから注意 逆に経験不足の若い精神科医だと患者を悩ますにしても手加減を知らずデタラメに苦しめてしまうことがある 結局は相性のいい先生を見つけるしかないもっとはっきり言うと精神科医の人間性で決まる
何科に行くか決めた? 研修医・6年生集合 その94 http://2chb.net/r/doctor/1532100015/ 129 名前:名無しさん@おだいじに[sage] 投稿日:2018/08/08(水) 21:38:18.38 ID:??? 精神科医は同業者からはともかく、患者本人および家族の視点からだとヤブ医者の判断がつきずらい。 患者本人はパーだし家族も精神病の身内への関わりがうすい。 だから医者間ではあの精神科医はクズだってわかっても患者や家族からは滅多に糾弾されない。 つまり、やりたい放題。 精神科医の見極め方で難しいところは 厳しい先生だけど患者さん自身は元気という事もあるし 口先だけいい事言って優しい先生だけど肝心の病気は全然良くならないというパターンもある事だ だからこそ患者本人および家族の視点からだと判断がつきずらい
処方箋自動発行機(自販機)だけを置いた自治体と 精神科医をびっしり揃えた自治体 どちらの方が医療費が掛かり、重症患者が出るかの治験が必要
なぜイタリアは精神病院を廃止出来たのか? 「Si puo fare シ・プオ・ファーレ」(やればできるさ) それは人権を守れて安くて快適で安全な「地域精神保健サービス方式」を作ったから 現在、世界には160万床の精神科のベットがあるそうだ。 日本の人口比は2%なので3万2,000床になるが、しかし日本にはその10倍以上の35万床もある。 つまりそのうち少なくともおよそ30万人は世界の常識であれば「社会的入院」となる。 厚労省の言う7万2,000人どころの話ではない。世界一の精神病院大国と言われるゆえんである。 現在精神医療に使われている予算は1兆9,000億円(そのうち1兆4,000億円が入院費)、地域精神福祉に500億円。 比率にして97:3。イタリア方式をもし日本で実践すると、 55ユーロ(約6,000円:現在イタリアでの住民一人当たりの経費)×1億3,000万人=7,800億円。 つまり現在の日本の半分以下で出来るのだ。 どうしたら「日本の非常識」を「世界の常識」レベルにすることが出来るのか。 それで僕は、イタリアの精神病院廃止の発祥の地トリエステに行って考えた。 精神病院を廃止したら犯罪率がアップすると右派の人達は言っていたが、全く犯罪率は変わっていない。 基本的理解は普通の人もマッド(言葉狩りをしないから自分たちのことをこう呼んでいる) も同じように犯罪を犯すとヨーロッパ市民は考えているのだろう。 https://www.liberuta.com/report-italy/ 精神科は主治医との信頼関係が重要だと厚生労働省のホームページにすら書いてある これは政府公認で精神科医を信頼していたら治して不信感を持っていたら治さなくていいと認めていることになる 精神科医を信頼しているとその患者にとって良い認知が不信感を持っていたら苦悩の認知が主治医の視界におすすめの認知として並ぶのだろう しかし精神科は本来逸脱者に精神病のラベリングをする場である 本来であれば主治医をどう思っていようが患者の逸脱行動から健常者の平均と照らし合わせて どれだけ悪であるかのみで精神科医の視界におすすめの認知を表示しなければいけないのではなかろうか?
同志社大学(本部・京都市上京区)のアメリカンフットボールクラブの部員4人が酒に酔った女性に性的暴行を加えたとして、 京都府警は8日、京都市上京区昆沙門町の大学生、片井裕貴容疑者(21)ら4人を準強制性交等の疑いで逮捕し、発表した。 ほかに逮捕されたのは、 京都府京田辺市興戸下ノ川原の山田悠護容疑者(21)、 同市田辺中央5丁目の浜田健容疑者(22)、 京都市上京区藪之下町の牧野稜容疑者(21) の3人。捜査関係者によると、いずれも4年生という。 捜査1課によると、4人は共謀して5月21日午前4時35分ごろから同5時25分ごろ、片井容疑者の自宅で、 酒に酔って意識がもうろうとした京都市の女性(20)に性的暴行を加えた疑いがある。 同志社大アメフト部員4人を逮捕 酒に酔った女性に性的暴行した疑い https://news.yahoo.co.jp/articles/0b85f4683cbeb2ecbc45d6f428c00c635a394904 こいつらの方がめっちゃ迷惑かけてるのに 名大病院受診したばかりに迷惑かけてない俺が中学生から統合失調症とか理不尽 患者向けの建前の医学を信じていたら 主治医との相性が大切という最も重要な精神科の真実に 辿り着くことは不可能である
プロレタリアートは周縁的な人間に敵意・憎悪を向けると同時に、犠牲者(犠牲者となる可能性のある者)として自らを理解する。 現実の利害・危害を超えた犠牲の可能性・犠牲のイメージを感受してしまうのだ。老人は怯え、自ら防衛する方法を何とか考え出すだろう。 その過剰な不安は精神医学・警察・司法・刑法体系などの権力を自ら進んで迎え入れてしまうこともあるだろう。 犠牲者あるいは犠牲の可能性がある者として権力を招き入れることは自発的に監視=矯正の下に参入することでもある。 こうして「周縁的な人間」を作り出すことは「周縁的な人間の監視=矯正」を可能にすると同時に、「民衆の保護と監視=矯正」の完成された効果をもたらすことになるのだ。 このように「権力とは、どこかただ一カ所で機能しているのではなく、実にさまざまな場所で機能している」ものである。 家庭、性生活、精神障害者の扱い、同性愛者の排除、男女関係、等々、これらの関係はすべて政治的な出来事である。 https://www.ritsumei-arsvi.org/publication/center_report/publication-center14/publication-106/ カウンセリングをしているクリニックがあった。 医師に受けたいと伝えたら事務員から説明があるとのこと。 事務員曰く 「薬をもらう週と同じ週にカウンセリングを受けてはいけない」 「カウンセリングの日にはお医者さんに会ってもらい会計を済ませてから別の建物でカウンセリング」 ???と思い「カウンセリングは臨床心理士がやってるんですか?」 事務員は少し考えて「そうでない人もいる」 ここ、一分診療みたいな患者がいたんだよね。たぶんカウンセリングかヤク目当ての患者なんだろう。 これはまずいんでないかと思いクリニックに行くのをやめた。 国立の大きい病院ならちゃんとしてるんだろうと思って予約した。 横に研修医の医師がいて挨拶があった。 診察する医師にこの件を伝えたところ、 「あ〜。合法合法。形式上医師にあって会計して無償でカウンセリングしてるってことにすれば問題ない。」 厚生局に問い合わせたところ、不正請求だと言われてます。 たぶんここには臨床にまともな人がいない。 最近は録音禁止になったみたいですね。 録音されるとまずいことは言わないでほしい。
社会人経験がある精神科医は社会人経験が生きて 患者の再入院率が低いと言われている 一般社会の理不尽を経験しているので患者に対しても冷静に寛容に判断できるのだろう
>>1 ※重要な内容なので広める目的でマルチポストしてます 「ワクチン後遺症は被害妄想だ、精神科・心療内科に行け」という発言はガスライティングと呼ばれる、 精神的DV・ハラスメントに該当します ガスライティングでは、ターゲットに対して「精神病だ、統失だ、頭おかしい」と精神疾患認定することで、 ターゲットの社会的信用と証言能力を奪い、社会的抹殺します best-legal.jp/what-is-gaslighting-48566/ ガスライティングとは?言葉の由来や特徴・5つの事例を弁護士が解説 | ベリーベスト法律事務所 宮本健太 弁護士 2022.03.02 / 更新日:2022.03.28 www.cosmopolitan.com/jp/trends/society/a40047268/gaslighting-phrases-intentions/ 心理的虐待「ガスライティング」の加害者がよく使う言葉と表現 2022/05/23 www.cosmopolitan.com/jp/trends/lifestyle/a35734328/toxic-relationship-advices/ この人とは縁を切るべき?「有害な人間関係」のサインと対処法 2022/05/03 www.cosmopolitan.com/jp/beauty-fashion/health/a36140270/gaslighting-examples-what-gaslighting-really-feels-like/ 気づきのキッカケは?被害者が明かす「ガスライティング」の実態 2021/12/14 v 障害ある人は936万人 人口の7.4% 厚労省推計 https://www.asahi.com/sp/articles/ASL495Q7BL49UTFK01W.html 14~16年に実施した障害者への生活実態調査からの推計で、 身体障害者は約436万人(前回より約42万3千人増)、 知的障害者が約108万2千人(同約34万1千人増)、 精神障害者が約392万4千人(同約72万3千人増)。 日本の人口は約1億2,322万人、障害者の数は936万人 つまり日本人の約13人に1人は何らかの障害者であり 日本人の約31人に1人が精神障害者という訳である 家1軒に5人住んでいると仮定するならば そこら辺にある家の3軒に1軒は何らかの障害者が家族におり 7軒に1軒は精神障害者が家族にいるということになる プシコになるとやたらドラマや映画が楽しめなくなる患者が多いけど あれって精神科医が患者を視界に直接投影する医療技術で見た時に映画のネタバレされるのを嫌って 患者をドラマも映画も何も楽しめない鬱にするんじゃないのか 患者ごときでネタバレするの嫌だから観れない理解できない認知にしておく精神科医が多いんだろ
そのクリニックや病院の外来を見るだけでもそこの精神科医が機密医療技術でどういう精神医療を行っているか分かるのである 外来に緊張している患者が多ければ自分もそのクリニックに通院し続けたら緊張しているように見える患者にされる可能性が高い 錐体外路症状丸出しのキワモノみたいな患者ばかりのクリニックなら 自分もそのクリニックへ通院し続けたらキワモノみたいに見える患者にされる可能性が高い 外来がなぜか気持ち悪い患者ばかりだと自分もその病院へ通院し続けたら 気持ち悪いと思われる患者にされる可能性が高い 外来が病気に見えない普通の人にしか見えない人だらけのクリニックなら自分もそのクリニックへ通院し続けたら どこが悪いのか分からない普通の人にしか見えない患者にされる可能性が高い