https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190810/k10012031231000.html
日本列島で文字が使われ始めた時期が大きくさかのぼるかもしれません。弥生時代や古墳時代の遺跡から発掘された石が調査の結果、
「すずり」と判断される事例が九州北部を中心に相次ぎ、調査に当たった専門家は、紀元前100年ごろから文字が使われていた可能性があると指摘しています。
調査は、弥生時代や古墳時代の遺跡で過去に発掘された石などを対象に、福岡県内の複数の考古学研究者が進めています。
刃物などを研ぐ「砥石(といし)」と判断されていた石などを詳しく調べ直した結果、これまでにおよそ130点が「すずり」と判断されました。
ほぼ同じ時代の中国や朝鮮半島の遺跡から見つかったすずりと形が似ていることに加え、石のすり減り方が砥石と異なるほか、
一部には墨とみられる黒い付着物が付いていたことなどから、「すずり」と判断したということです。
調査に当たっている弥生時代の専門家で、國學院大学の柳田康雄客員教授によりますと、「すずり」と判断した石は、
九州北部を中心に西日本の各地に分布し、このうちの5点は弥生時代中期の紀元前100年ごろまでさかのぼるということです。
日本列島では古墳時代中期の5世紀ごろには、確実に文字が使われ始め、それより前は土器に書かれた墨書など、
文字の可能性を示す資料が見つかっているものの、普及の実態はよく分かっていません。
柳田さんは九州北部では紀元前からすずりを使って文字を書いていた可能性があるとして、「弥生時代は原始時代ではなく、
文字を持った高度な文化や文明があったと言ってもいい」と指摘しています。
なぜ「すずり」と判断?
研究者たちが参考にしたのは、中国の漢の時代に使われていた板状の「すずり」です。
このうち、朝鮮半島で見つかったすずりの復元模型は、漆塗りの豪華な台の上に平たい石が置かれ、この上で水を含ませながら粒状の墨を
すりつぶしたと考えられています。
研究者たちは、こうした形状のすずりが北部九州などにもあるのではないかと考え、発掘調査の報告書に「砥石」と記されている平らで
細長い形をした石の再調査を進めてきました。
細かい観察や実測を行って、形のほかにも砥石とは異なり、表面の中央部分だけがくぼんでいることや、表面から垂れたと思われる
墨のようなものが側面に付着していることなど、すずりと判断できる特徴を見つけてきたということです。
確実な文字の使用は5世紀
日本列島では飛鳥時代以降、官僚機構や法律が整備され、行政に文書が欠かせなくなったことなどから文字の普及が進みました。
文字が確実に使用されていたことを示す資料は、これより前の古墳時代にさかのぼります。
例えば埼玉県の稲荷山古墳で見つかった古墳時代中期、5世紀のものとみられる鉄剣には115文字が刻まれ、この時期には文章として
文字が使われていたことが分かります。
それ以前にも外交の際などに文字が使われていたと考えられていますが、出土した資料が文字かどうかを判断することは難しくなります。
三重県で出土した4世紀の土器の「田」と読める墨書や、長野県で出土した3世紀の土器に刻まれた「大」と読める文字資料などがありますが、
1文字だけの場合が多く、何が書かれているのか、何のために書かれたのか、明確になっていないのが現状です。
また、福岡市の志賀島で見つかったとされる国宝の金印には、「漢委奴国王」という5つの文字が彫り込まれていますが、
西暦57年に中国の「後漢」から与えられたする考えが有力です。
外交や交易に利用か
日本列島でも弥生時代からすずりが普及し、文字が書かれていたとすれば、何のために使われていたのか。
調査を進める1人、福岡市埋蔵文化財課の久住猛雄さんは、外交のほか交易に使われていたと想定しています。
久住さんは古墳時代の石の破片6点をすずりと判断した福岡市の「西新町遺跡」に注目しています。
この遺跡は古墳時代には多くの渡来人が訪れ、朝鮮半島や日本列島の各地と行き来する交易の拠点と考えられています。
また、すずりと判断された石が出土した遺跡の多くは海や川に面し、港の機能があったと考えられることから、久住さんはこうした場所では
交易のために文字が使われていたと見ています。
久住さんは「長距離を結ぶ交易のネットワークに関わる人たちが、交易の記録や品物の名前や数などを書き留めて記録することに
文字を使っていたと考えられる」と話していました。 朝鮮人がハングルを使えるのは日本のおかげ
とか言い出すネトウヨw
( `ハ´)「倭猿に文字を初めて使わせたのは中国人アル!鬼子に文字なんて無かったアル!!」
左利きにも強制的に右手で書かせる習字の糞授業ってまだやってんの?
ということは、大和朝廷がその前の邪馬台国やそれ以前の歴史における記録を焚書
したということか。
>>1
福岡県出身の研究者だからなあ。
時代はやや前後するが「すずり」と判断された石の分布は、
奈良県・大阪府・兵庫県・鳥取県・島根県・岡山県・広島県
福岡県・佐賀県・大分県・熊本県と広範囲に及ぶわけで。
もう少し、福岡県以外の地域の研究も進めないとね。 今更かよ
時の権力に都合悪いもんはすべて偽書扱いじゃねえか
各地の神社に残ってる漢字以外の文書やらペトログリフとか
アカデミズムは調べようともしない
>>3
百済の聖明王が論語を送ったのが
日本に文字が伝わった最初でなければ気が済まない朝鮮人 文章とは限らんわな
記事にもあるように一文字で意味をなしていたかもしれんし、
墨を使って何らかのしるしを付けていただけかもしれんし
硯石は漢からの輸入品だろうけど、だからって文字はまだ普及してなかったんでは?
ブッシュマンみたいな未開の村で、文明人がワープロ置いていっても、
文字がすぐに普及していったわけではないでしょ
硯だとしても、文字を書くための墨じゃなくて、
絵を描くための画材を入れてたんと違うか?
鳥獣戯画みたいなやつ。
>>9
「継体天皇が応神天皇から数えて5代の子孫だなんてこの時代に記録があるわけがないから嘘」
「聖徳太子が編纂した帝紀は架空のもの」
などの言論が言えなくなる お習字の起源は韓国
ストリップ小屋のエロお習字の起源はジャップ
>>1
漢字の普及は仏教徒によって強制的に広められたからな
こいつによって、その前の文字が消し去られたのかもしれん >>19
田とか大だと、模様のつもりかもしれないから
もう少し複雑な形の文字が欲しいよな >>1
そんなことは無い
文字で書かれた物が一つも残っていない >>21
それはあるかもしれない
熊本のどこかの古墳で石室の内側に渦巻き模様を書いたのがあっただろ まあ長江流域から渡来人はちょこちょこ渡ってきてたらしいから、そいつらが文字を持ってきた可能性があるな
長江は農耕社会だから契約文化もあっただろうし
その後、気候変動で南下、東進した北方民の文字に駆逐されたと考えれば、日本で専制支配が広まった7世紀あたりを境に漢字オンリーになったのも辻褄が合う
大陸から来た移民と共に漢字が伝来しても不思議ではない。
>>17
アカデミズムが調べた結果、奈良時代の万葉仮名の使い分けから分かる当時の音韻が
それらの文字には現れていないから偽書だとされている >>3
福沢諭吉がハングルを一般人にも
使いやすいように改良したの
しらないの? >>1
例えば埼玉県の稲荷山古墳で見つかった古墳時代中期、5世紀のものとみられる鉄剣には115文字が刻まれ、この時期には文章として
文字が使われていたことが分かります。
(表面)
辛亥の年 7月に記す 私はヲワケの臣 いちばんの祖先の名はオホヒコ その子はタカリノスクネ その子の名はテヨカリワケ その子の名はタカヒシワケ その子の名はタサキワケ その子の名はハテヒ
(裏面)
その子の名はカサヒヨ その子の名はヲワケの臣 先祖代々杖刀人首(大王の親衛隊長)として大王に仕え今に至っている
ワカタケル大王(雄略天皇)の役所がシキの宮にある時 私は大王が天下を治めるのを補佐した この何回も鍛えたよく切れる刀を作らせ 私が大王に仕えてきた由来をしるしておくものである
辛亥の年( 西暦471年) 。獲加多支鹵大王。寺(役所)在斯鬼宮(斯鬼は奈良県磯城郡、初瀬朝倉宮があった所) 。等の文字からワカタケル大王は雄略天皇とされている。
また、それ以前に熊本の江田船山古墳から発掘された太刀にも同じような銘があったが、
こちらは文字の一部が欠けており判読できなかったが、稲荷山古墳の鉄剣が出たところから、同じワカタケル大王と推定されている。
江田船山古墳の太刀銘 「獲□□□鹵大王」 >>37
これ見ると、やっぱり漢字なんだなと
まぁ普通に考えれば
当時の朝鮮半島も漢字使ってたし
貿易の中心が中国メインなんだから
漢字がそのまま輸入されたってことの方が自然なんだろう
聖徳太子が、中国に派遣された人から話を聞いて
日本も箸を使うようにしようって言ったくらいだし
文字もそうだけど、自分で作り出すより真似た方が楽 実はオナニーに使う道具でした
黒い付着物はまっ黒になるまでこすりつけた弥生人のおチンポの皮でした
・・・という線が濃厚
魚拓、墨つぼ、羽根突き…
文字を書く以外でも墨がないと困ることはいっぱいある
>>1
中国の秦の始皇帝が紀元前250年
今回見つかったのは、紀元前100年頃
まぁ、このころより前から漢字遣われててもおかしくないわな >>37
うーん、書道はよくわからんが、これはどの程度なん? 倭人伝には文字がなかったと書かれてある
おそらく硯とはちがうだろう
>>3
そぅいぅレスを付けると
ガソリン携行缶を持ってやってくるぞ
基地外ネトウヨがぁ 「入手した『硯』とやらは砥石として使用していました」
>>5
おかげさまで字は右、箸は左とかなんか中途半端になったわい
便利なのは右でスプーン左で箸でラーメン、チャーハン食えるくらいなもんだ 論語にも不遇だった孔子自身日本に移住するか悩んだとある
当時山東半島から大量の移民が出ていたようだ
むしろ墨の方が謎
炭はあるだろうけど他の素材と混ぜて固めて
色を濃くして書いた文字が落ちにくくするのは
誰が発明したんだろう
「この墨というものを使えばいろいろなものを黒く染めることができます」
>>48
ガソリンで警官焼き殺したのパヨクだよね? >>20
普及してた土器に文字が書かれてる
単純な文字を一般人が使えるとしたら、支配層はもっと使えると考えてもおかしくない
ってな推測じゃないの? そら天智以降前史史料は全て焚書したからな。
文字が無かったと言うより
万世一系に不都合な邪馬台王統の存在を日本史から消したかったのが実情だろう。
全て百済渡来の藤原と共謀した天智の仕業だよ
>>59
塗料を固化したり定着させるための膠はそれこそ古代からあるし
墨は火を焚いた時に出る煤を集めれば濃いのが出来る
まあ、古代に固形墨があったとしても現代の墨みたいな香料入りで
しっかりした造りのじゃないと思うが 韓国に対して 物言う吉本芸人を排除したがっている芸能界とマスコミの在日チョン勢力の手管が卑しすぎる!
在日チョン勢力の扇動に騙されないように!
重要なのは芸能界とマスコミに巣食う在日チョン勢力を叩き潰す事であって吉本を叩く事ではない!
吉本は関西地方全体がバックアップしている特殊な事務所なんだから、
吉本叩いた所で、オワコンのテレビがますますオワコンになるだけだろ!
当初、赤字だったユニバーサルスタジオジャパンが軌道に乗ったのも吉本の助力が大きかった
.
ヤクザバーニングみたいなチョン系のヤクザ事務所のタレントこそ排除しよう!
ヤクザバーニングの庭の演歌界こそ、もっとも反社と強く繋がっているのに、一向に演歌界に飛び火しないどころか、吉本叩きの様相を呈してきてて、不自然すぎる!
演歌歌手がヤクザと写ってる写真なんて腐るほどあるだろ!
国歌斉唱を拒否し、沖縄の売国左翼に協力した反日クズ女の安室のバックのヤクザバーニングを叩き潰そう!
特に売国キチガイ左翼紙の沖縄タイムスと安室の癒着が酷い
醜悪な引退商法して無様に芸能界から逃げ出した負け犬安室のバックのヤクザバーニングを業界から完全に干しましょう。
メディアや芸能界が反社会勢力と繋がっているのが許される時代ではありません。バーニング系と癒着しているメディアの人間もどんどん逮捕していかないと
ヤクザバーニングは北朝鮮系です
あいみょんや新垣結衣や羽鳥慎一や北村一輝や島崎遥香といったヤクザバーニングのタレントを二度と起用させないようにしていきましょう
↓
http://www.officiallyjd.com/archives/430854/
宮根誠司、羽鳥慎一らが所属するバーニング系列事務所の黒い噂…肉弾接待、枕営業、所属タレントらも関与か
http〇s://hay〇abus〇a9.5〇ch.net/test/read〇.cgi/mnewsplus/1559599625/
【俳優】北村一輝はなぜ韓国「反日映画」出演を決めたのか?
htt〇ps:/〇/ww〇w.excite.co.jp/news/article/Cyzo_201504_post_18343/
「“芸能界のドン”は宅見組長が育てた」バーニング周防郁雄社長と暴力団“黒い交際”暴く衝撃ブログ
htt〇ps:/〇/hayabusa9.5〇ch.net/te〇st/read.cgi/mnewsplus/1563257041/
【元AKB48】島崎遥香、電車の優先席に座る会社員に苦言「韓国は素敵だったな〜健康な若者はみんな立ってた」★3
エイベックスもヤクザバーニング系です。エイベックスのトップの松浦の暴力団を使った脅迫行為など上場企業のトップとして決して許されません
↓
https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_2781/
エイベックスの問題はブラック労働だけじゃない! 金、パワハラ、暴力団を使った恐喝...背景に松浦社長の体質が
htt〇p:/〇/outlaws.air-nifty.c〇om/news/2018/12/post-5d74.ht〇ml
エイベックス松浦勝人の「常軌を逸した私的遊興・年間3億円」などを告発した文書、関連して本誌が送付した「質問状」を全文公開
業界でもっとも黒い事務所と言われているライジングもバーニング系です。
ヤクザライジングのタレントを起用させないようにメディアを監視していきましょう!!
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http〇s://noma66.co〇m/womantalent/1743/
西内まりやの元事務所ライジングの闇!脱税やヤクザの悪評に圧力の黒い噂?!
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【芸能】佐藤浩市が難病の安倍総理を揶揄し炎上 ネット「ダサい人…」「脚本を変更させ反体制気取ってる頭の悪さに驚いた」 ★4
売国左翼の佐藤浩市を起用している反日企業を叩き潰そう!
佐藤浩市を起用している反日企業はこの三社です
↓
CM キャノンマーケティングジャパン
CM 三井住友信託銀行
CM コカ・コーラ『特選 綾鷹』
.
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4654654 5chは既に在日チョンに買収されているのをご存知ですか?
↓
2chの譲渡先、5chの代理人弁護士は通名のしばき隊員
http://irohamatumae.blog.jp/archives/19087374.html
5chの運営がチョンに買収されていると、とっくにバレている以上、完全記者制というシステム止めるべき
チョンに買収されている運営が全てのスレ立てをコントロールするとかありえない。チョンに買収されている日本の敵の5chを叩き潰そう!
【民主党=立憲民主党の正体】
韓国民団生野支部での民主党議員の挨拶【在日参政権を約束】
http://www.nicozon.net/watch/sm9751328
菅 直人(民主) 日本人拉致犯 シンガンス釈放署名
江田五月(民主) 日本人拉致犯 シンガンス釈放署名
千葉景子(民主) 日本人拉致犯 シンガンス釈放署名
岡田克也(民主) 「拉致被害者を北朝鮮に戻すべき」と主張
岡崎トミ子(民主) 慰安婦への謝罪と賠償法案 8回提出
福山哲郎(民主) 陳哲郎
白眞勲 (民主) 元韓国籍
土肥隆一(民主) 朝鮮京城に出生
中井洽 (民主) 吉林省長春に出生
辻元清美(民主) ピースボート創設(北朝鮮組織)
辻元清美(民主) 「私は国家の枠を崩壊させる国壊議員」
有田芳生(民主) 嫌韓デモの法規制 「ネットで書いたら逮捕!」
末松義規(民主) 「在日朝鮮人に選挙権を与えよう!」
角田義一(民主) 朝鮮組織から献金 2500万闇献金疑惑
前原誠司(民主) 「外国人参政権を成立させる」と民団で約束
安住 淳 (民主) 大震災の年に「韓国に5兆円支援」の財務大臣
山岡賢次(民主) (「金賢二」、通名は「金子賢二」、後に「藤野賢次」→「山岡賢次」)
↑
民主党政権の時の円高デフレ政策で、日本の輸出産業は壊滅寸前になる一方で、韓国の輸出産業はこの世の春だった。
民主党=立憲民主党は日本を滅ぼして、韓国が栄える為に政治をしている
安倍政権の韓国への経済制裁に一番反対しているのも立憲民主党
.
.
62798957 弥生人は半島や大陸からやって来た渡来人なんだから、
渡来人と一緒に弥生時代に日本に字が渡って来ていても何の不思議もないなわ
文字を書いてたと勝手な判断するのはどうか。
絵かもしれないじゃん?
ぶっちゃけ言うと、女の裸を描くためなら、
古代人と言えどあらゆる努力を惜しまなかったはず。
中国と交易してたんだから、中国文字で書いていたはず。
九州からは紀元前の土器に周と刻まれた土器が出土してるだろ。
つまり普通に周から渡来してたわけだが
>>75
今まで考えられていたよりも、早く伝わってたって話じゃねーの? >>72
絵になんぞ描かんでも目の前に半裸の女がうじゃうじゃ居たんじゃなかろうか 硯は墨をすって墨汁を作るための道具で、墨をすらないなら墨壷でかまわない。
だから硯は字の使用じゃなくて固形墨の普及を意味している。
この情報をもとにネトウヨの頭の中では、文字を日本人独自で発明したことになります
縄文時代から日本と韓半島南部に縄文人が住んでいた。
亡命中国人の衛氏朝鮮が出来たのが紀元前195年だが春秋戦国頃既に中国商人や流民が半島南部に住み着いて
倭人やらあちこちから来た雑多な住人が中国商人のコロニー都市に住んで出来た都市国家群が馬韓弁韓辰韓等の
諸国家であって、当然対馬海峡を挟んだ九州本土や日本海沿いの土地土地にも商人はやって来ていて、大陸から来た
商人との交易を基に都市国家が出来上がっていった。商人が中心になることもあれば、重要な参謀役として参画するところも
あっただろう。日本と半島のクニはそうして出来たのであり、黄河文明圏から知識と技術を持ち込んだ華北の商人たちは
王にならなくとも重要な地位を占めたのは間違いない。その弥生時代の古墳から硯が出てくるとすれば何やら宝具の
ような扱いをされているのでなければ中国商人か彼らから文字を学んだ人物が使用していたと考えられるが、
前漢の武帝が衛氏朝鮮を滅ぼして楽浪郡を置いたのが記事と同じ頃の前108年なので、
その頃はもう文字が使われていてもおかしくないだろう。
この番組見たけどちょっと強引な考えだったな
書くものと書かれるものはどうしたのかと
>>78
「現実の女はクソ」と拒絶して二次元に逃げ込んだ弥生人かもよ。 >>81
そんなだろう話ばかりだから、日本の考古学は学問の体をなしてないとバカにされるんだよ。 中国に朝貢していたんだから当然だろう。
三世紀には金印まで授与されている。
逆算すれば紀元前から朝貢してないとムリ無理無理!の展開だし。
>>85
今時、金印を本物と思っているのは明治の石川さんぐらいだろう。 今みたいな人口における識字率99パーセントみたいなのじゃなくて、
本当に限られたわずかなものだけが最低限の読み書きを行えたと考えるなら当時あっておかしくないし、
残ってなくておかしくはないとは思うけど
渡来人がさまざまな文化をもたらしたのにその中に文字だけはありませんでしたなんてそっちの方がおかしいよな
>>83
縄文時代から土偶という三次元ファンタジーがあってな ボディペイントとかに使ってたかもよ?
てか、砕くための平らな石
の形状私大じゃねえのか
する場所と水ためる場所あるなら
それは、すずりという形態だろう
ただ、器でする
のとは違って
工夫、発明なわけでな
倭人伝の邪馬台国にも文書を以て伝送する記載はあるから
古い時代から文字は使ってたろうけど
ごく一部しか使ってないだろうから、後世には残らないかな
>>90
硯はあくまでするための道具だよ。理想的には硯石という石を使うけど、それが北九州に出ている。 まぁーた捏造歴史か
日本スゴイ!すごぉおおおおおおおおおいwwwwwwwwwwwww
ごく一部のエリートは当然読み書きが出来ただろう
通訳をつけず中国語をしゃべれたやつだっていただろうさ
もし漢字じゃなくてローマ字のような表音文字があればもっと書けるやつが多くて遺物も多かったかもなあ
朝鮮様そんな時代に文字を教えて頂きありがとうございます。
三種の神器
八咫鏡に書かれているのは古代ヘブライ語だっけ
何が真実かというより、大学の教授は自分の手柄のためなら事実をねじ曲げるから信用ならん。
宅配の伝票番号みたいなもんだろよ。ただの記号
たしかに使用はしてるけどよ。アホくさ
>>66
その頃朝鮮半島では呪いのために全身に糞を塗ったくっていた
まあそう今と変わらんわな >>3
文法が日本語そのまんまなんだぜ
日本語が元になってる単語も多いしな
それどころか日本語そのまんまな単語もある、朝鮮人はバカだから
日帝残滓だからハングル自体廃止すべきなんじゃないのw >>96
その時代の朝鮮半島って中国人の奴隷の朝鮮人奴隷商の中国人しか
居なかった時代だけど?
まあ中国人が日本に奴隷を売りに来た可能性はあるよな 日本がこんな文字を使ってたか
使ってないかもはっきりしないような
時代のさらに400年くらい前に、
中国は孫子の兵法の孫武とか、孔子とかの
賢者、思想家がいたわけで、
歴史に関しては素直に中国は
すごいと思う。
まぁ、弥生人が華南から来たなんて話あるしな
文字があっても不思議ないか
竹簡とか木簡見つかれば証明にならのにな
古代日本人が刺青はいれてたのはほぼ確実だからそれ用では
文字使用の必然性がない
なぜ、それらの国が成熟しなかったか
王朝の交代が文明、文化の否定を伴うからだよw
貴乃花の勝利だな
やっぱり相撲はヘブライ語のシュモー
>>109
当時そこはシナとワの陣取りゲーム地
チョンはいなかった >>53
箸と逆の手でレンゲ持つんだからそっちでチャーハン食うだろ? >>3
日韓併合前後の小中高学校数と教科書を見れば
事実 文字が残ってないってことは大して使われなかったんだよ
大陸渡来で何だか分からない道具って感じじゃね?
せいぜい宗教儀式としてチョコチョコ摩って書いただけとかさ
権力者層に「文字文化」が定着するほど使われなかった
日本は文字を使わなくても足りる文化だった
アイヌだって大和人が文字を使ってるのを知っても、その後千年以上文字を使おうとしなかったし
57年 奴倭国王金印を授かる
107年 倭王帥升
146年〜189年 倭国大乱
238年 卑弥呼が親魏倭王金印を授かる
420年〜479年 倭の五王
3世紀〜5世紀 奈良の纒向遺跡
北九州から関東までの搬入土器が出土
伊勢東海系土器が49%
北陸出雲系土器が17%
九州系土器は1%にも満たない
まーたクソジャップの歴史捏造かぁ?
絢爛な文明を誇るお隣の韓国がそんなに羨ましく妬ましいのか・・・・
九州北部って・・・・・
渡来人(韓国人)の持ち込み確定じゃねえか
こんなんでホルホルしているこどおじ(ネトウヨ)はお脳に膿でも沸いてるのか?
硯で墨吸ってたとしても、墨で絵を描いてたかもしれないし
儀式の時のボディペイント用だったかもしれないわけで
呼ばれてないのにちょちょちょーーーん
すずりの起源はウリたちニダ!
但し使ってたの中国あるいは朝鮮半島から来た渡来人ニダね。
ジャップは猿だから文字の使用は無理ニダね。
>>3
ハングルを統一できずに日本人が教科書作ったのバレたよ >>133
https://hirameki.noge-printing.jp/international-literacy-day_191016/
日本の識字率は数百年にわたって世界一
日本人の識字率についての古い統計は存在しませんが、江戸時代幕末期にはすでに世界一だったといわれています。
武士はほぼ100%読み書きができていたし、庶民層でも男子50%前後、読み書きができたと。同時代の英国の下層庶民の場合、ロンドンでも字が読める子どもは10%に満たなかったそうです。
しかも、幕末期の就学率は80%程度。武士の子どもだけでなく一般庶民の子どもも「読み、書き、そろばん」を学んでいたそうです。
義務教育ではなく自主的に運営された寺子屋に庶民の子どもがこぞって修学していたというほど、日本人の教育熱心さは知られています。
庶民の間で人気の高いさまざまな出版物の出現、新聞の元祖「かわらばん」の存在が大きく、読書熱は想像以上に高かったといわれています。 >>134
チョンが今使っている多くの単語も日本製だしな。 >>135
さらに算額奉納からも和算ブームで庶民も和算の問題に精通。 入れ墨に使ってたんじゃないのか
当時の日本人は入れ墨してたって倭人伝に書いてあるしな
>>135
でも独自の文明を生み出す事は無かった
日本人は勤勉だけど頭はよくない >>139
独自の文明にこだわるのは、何か劣等感を持っているのかねぇ? >>139
ノーベル賞24乃至29に対してノーベル賞0が言えたもんじゃない
(日本人のノーベル賞受賞者 - Wikipedia参照) 文明の衝突って本あったな
ハンチントンの本
日本は一つの文明にされてた
>>143
話をズラしてるのかな?
『日本文明を知らないのか?』と聞いているんだが。 紙の使用はいつ頃から?
昔の中国の文献は竹ベラに書かれてたんだっけ?
中国の文字以外が使われてた可能性は昔から指摘されていた
記号みたいなものみたいだけどな
すずりはいいけど肝心の文字は?
すずりっぽい何か別のものだったんじゃね??
>>146
東洋人が発明したとされる火薬、銃、羅針盤、印刷術なども
日本人には関係ないし、日本人が作った物て何? >>5
お陰で外科の手術は全部右利き用の器具普通に使えて良かった
左右使えるようになっておくことは何かと都合がいい 文字の出土状況
3〜4世紀は墨書土器などで文字の痕跡がある。
一文字だけ書かれていることが多い。田の字が多い。
5世紀は金石文の痕跡が残る。鉄刀などに彫られた文字である。
文字の形をみると、彫りの職人は書き順やとめ、はらえなどを
意識していないでたらめな彫り方になっており、
彫り職人は文字を使い慣れていないことがわかる。
6世紀は木簡が出始める。手習いの細片が多く、文字を習うという習慣が
始まっており、文字が下級役人に浸透し始めてきている。
7世紀には戸籍が出始める。文字を文化行政に実用的に
使用し始めていることが推測できる。
8世紀には万葉仮名など日本独自の使用法に、
魔改造が始まる。
。
>>153
古代だと女性文学(源氏物語や枕草子)
最近だとQRコードとかFeliCa >>153
『発明』と『文明』は違うんだけどわかるかな? >>153
それ全部中国やよね?
確かに中国は凄いわ
何者なんだよあいつら 肝心のすり潰す前の墨が見つかって無い
墨が一部に付着しているだけじゃ硯だった証拠としては弱いんじゃね
>>20
最初は記号として使ってたんだろ
今でいうプラマークみたいなもんで
瓶に記号を書いて何が入っているかみんながわかるようにしたんだよ >>156
それらは独自の発明ではなく、既にあるものを改良又は
組み合わせただけで、ウォークマンと一緒で日本人が得意
なのは認める >>153
人類史上最高の発明であるiPS細胞かな
ノーベル賞をスピード受賞したのも当然の偉大なる発明 >>153
他はフラッシュメモリーとか青、白LEDとかね
日本が発明に乏しかったのは昔のこと 今でも公的記録類は保管して置いた事でトラブルになっている事で判断できますように
トラブルになるので記録はサッサと燃やさなくてはならないのだ
どんど焼き
>>160
古代シナ人は凄いよな
とくに周とその末裔
ちなみに弥生渡来人は周由来という説もある
→ 佃収著作集(サイトにアップしてあるので無料で読める) >>168
別にどっちに転んでもいい話だから大事に考える必要はない
ただただ黙々と保存すればよい 古代に文字があったとして日本すっげーともならないし古代に文字がなかったとして日本ダッセーともならない
肝心なのは今
何で硯だけで文字だと言えるの?
水墨画を描いてたかもしれないじゃん
>>139
各地の神社仏閣にある算額見て解いてから言えよ >>153
発明や起源は文明じゃない。
ギリシャ・エーゲ海文明に起源を持つローマ文明。
逆に蒸気機関を発明した英国を英国文明とは呼んでいない。
そのまた逆に欧州の近代を発展独自化させた米国は近代アメリカ文明と言う人もいる。 日本独自の文字があったとしても結局大陸の漢字に取って代わられたんだろ
文字を替えるって占領でもされない限り容易にできないことだろ
日本は大陸に支配されてたのか?
またゴッドハンドフジムラってんのかよガラパゴス住人
稲作も歴史の教科書に載ってる時代より随分前からやってるらしいしな
証拠の出土した米俵は某大学に保管してあるそうな
ピラミッド作ったのもそもそも日本人が初めてだし
京丹後にその一族の家系図も残ってる
>>10
中国でも木簡、竹簡、布に書いてた時代に……。 >>169
春秋戦国時代に滅ぼされた呉越の民が大量に渡ってきたって話は聞いたことがある
ちなみに越と倭は同じ発音でwo
倭人は本当は越と名乗ってたのかもしれんねw 何故か今更言いだす事が特定団体への忖度であり
ソレは政治介入で、政教分離に反する
>>183
中国語と日本語の文法全く違うから(ヾノ・∀・`) >>185
とも言えないみたいなんだよ
日本語の起源は >>183 で指摘されている呉越(周由来)の言語とも言われてるし
人種も遺伝子で裏付けられてるようだよ(佃収著作集参照) >>3
実際埋もれてたのを普及させたのは総督府だろうよ 前・後漢の狭間の新政権の貨幣が、
交易路と見られる弥生遺跡や沖縄で見つかってるから交易は確実。
新の貨幣、貨泉は2文字彫ってあるんで、初めは文様だと思っても
何らかの記号として認識し始めたろ。
で、新だが高句麗を下句麗と呼んで外交戦争してるので、日本・半島方面に強い関心があったと思われる。高句麗が交易を邪魔した、盗みをした可能性もある。
>>187
日本語とそれらの言語はどこに共通点あんのさ >>185
始皇帝が統一するまで中国の書式スタイルは4000あったともいわれる >>190
呉服 呉音読み とかいたるところに呉が残ってるだろ 夏休みか。低レベルな質問が多いな。学校でも教えてくれないからな
海流の潮の流れは呉越あたりから黒潮で日本に向かってるから船で簡単に日本にこれるんだわ。
だから呉服 呉音読みとか呉越の文化が日本の至ところに見れるし、稲作の稲のDNAもそのあたりと類似するのよ
>>193
それは外来語だから、言語の共通性とはまったく関係がない。 >>193
あたりめーじゃんか意図的に取り入れたんだから
日本語にもホットドッグやベーグルがあるけどアメリカから移住してきたのか? >>194
呉音(呉で流通した漢字の読み方=方言)が入ってきたのは、文教伝来時代。
それほど古いことではない。 >>196
いや関係あるから。ないとか思ってるなら勉強しなおしたほうがいい そもそも硯=文字でもあるまい
墨摺って絵描いたかも知れんのに
>>201
言語学の定説として、日本語は孤立した言語。
世界には孤立した言語がものすごく多い。 >>200
中国の遺跡とかで日本産のヒスイが財宝として発掘されまくってるのよ。
沖縄のタカラ貝もね。 古代から行き来してた証拠 ニダー
それは倭寇が韓国から盗んだものニダー
その頃韓国はあったのかって?
ぶ、侮辱されたニダー
戦犯国がまた嘘を言ってるニダー
>>204
中国からの渡来物だから、教えてもらって文字も書いた奴がいるに決まってる。
その連中が支配者層となっていったのだろう。 >>206
交易があった証拠はそこから移住してきた証拠にはならない >>206
その話は知らないが、交易が古くからあるのは確かだが、呉は新しい国。
紀元前には国として成立していない。 >>210
んでもってシナチベット語族じゃないだろ >>213
また白人の離間計画にだまされてんの?中国人も日本人も半分はDNA同じだからな。 >>210
アルタイ語圏というのは、ただその地域の言語を集めただけのこと。
言語系統図が書けるわけではない。 所詮日本人はウンコぶりぶり野郎と引きこもり女の子孫だし…
>>214
えーっと・・・
ツッコミ待ちって事でいいのか? >>217
まあ中国と日本は同じことばが結構地方によってはのこってるは
ほんじゃね とか中国の地方ではさようならって意味になるところもあるし
返事もはいってのがそのまま は で通じるのもあるしね。漢字と同じでところどころ煮た言葉があるのよ >>220
その地域のことを呉とか越とかいうんだが だいたいAD100年くらいの論争だろ これは
春秋戦国時代もう終わってるだろ >>139
世界最古の文明は縄文文明だな。
北部九州地域に在った倭奴国が後漢に朝貢してたんだから文字くらい使えたはずだよな
朝貢する際に持っていく上奏文を書けないと朝貢ができない
紀元前から文字使用が北部九州地域では始まっていたはず。
「漢倭委奴國王」の金印を貰ってるんだからな。 >>217
そうなの!?(゜ロ゜ノ)ノ
じゃあ文法まだ決まってなくて語順がバラバラで単語並べるだけでコミュニケーションとってた時に散らばったのかな >>221
まるで素人の思い付き。
万葉集が韓国語でできてる、という話と変わらない。 >>217
言語が突如その地域で生み出される可能性はないわ。独自変更はあってもね。
人間はみなアフリカから伝搬したのだから 元の言葉があってそれぞれそれが
違う形には徐々に変わっても、それが自然的にその地域だけで生まれるなんてありえないわ。
徐々に返還したとみるのが妥当。だかあアルタイ語圏的な流れで大きくとらえることは必要。 >>229
それ国だろw 三国志読みすぎだよ。それ以前から呉越同舟とか言葉があってだなw >>226
なぜ違うと思う?
日本で仏教伝来といわれているのは6世紀。
仏教とともに呉音が入ってきた。 >>228
アルタイ語圏という地域と、言語の系統は関係がないということ。 >>230
日本の仏教伝来は6世紀。
呉音は仏教とともに入ってきた。 >>231
詳しく説明して呉音は元は和音と呼ばれ英手 ブリタニカによるとその時期に呉音と名前を変えたらしいけど >>229
まあそう言うと思ったw
それは呉を名乗る全然別の国やよ
人種的にも文化的にも別物だ
って釣られてみる 大和民族が呉から来たとか言ってる奴は縄文土器が自然生成されたと思ってるのかな
>>1,>>3
万葉仮名のもとになったのが朝鮮半島の吏読 (漢字による朝鮮語の表記方法、三国時代に始まった)
渡来人たちが通訳を介して話していたという記録はないので、当時の朝鮮語は、別の
国の言葉というほどの違いはなく、地域言語(方言)くらいの差だった。 >>233
じゃあ 日本語は独自にニホンザルが使っていた言葉が発達したの?
南方系の言語と関連があるというのなら多少は理解できるけど
独自で孤立した言語というのはちょっとありえないとおもうわ >>235
日本の漢字の読みに呉音と漢音があり、呉音の方が古い。
おそらくは6世紀に入ってきた。
その後、漢音が主流となった。 >>237
縄文人の子孫なんて日本人はほとんどいないからなぁ。残念ながら。沖縄人とかアイヌ人くらいだろ やっぱり日本の歴史の発祥はは九州だな
関東や東北のような文化のないエリアとは違う
>>239
日本語の系統は現段階ではまったく不明。
世界でも、系統が不明な言葉はたくさんある。 >>240
じゃあ 和音は? 稲作の歴史もそれより古いよね? >>243
へーそんなに大量に黒潮に乗って渡ってきたんだ >>247
和音ということではなく、日本語に漢字を当てはめただけ。 >>240
ブリタニカ百科事典には6世紀じゃなくて六朝時代と書いてあるけど。
あなたのこんきょとするものは? 大陸や半島からの移民の中には、
知識階級もいるだろうしなあ
>>253
でも竹簡がでてこないのはなんでなんだろうなぁ。 すずり交易でもらったけど使い方わからなかったとか? 中国の単語はあるが、文法がまったく違う
アメリカ英語の単語はあるが、文法はまったく違う
つまり、物は来たが主流派の人々になったわけじゃない
近畿でも弥生のすずり? 大阪・泉南、滑瀬遺跡
https://www.sankei.com/photo/story/news/190619/sty1906190006-n1.html
大阪府泉南市の弥生時代の滑瀬遺跡で出土した板石の破片は、
弥生時代後期(1世紀)のすずりの可能性が高いと
福岡市埋蔵文化財課の久住猛雄主事が指摘していることが
19日分かった。
5月に開催された考古学研究会岡山例会で発表した。
久住氏によると、弥生時代から古墳時代前期のすずりは、
これまでに北部九州を中心に50例以上確認されているが、
大阪府で見つかるのは初めてで、現状では東限という。
弥生時代の文字使用が西日本で広がっていた
可能性を示す発見として注目されそうだ。
滑瀬遺跡の石片は1985〜86年度の調査で出土。
長さ6.5センチ、幅2センチ、厚さ8ミリ。
これまで砥石とみられていた。
九州北部 → 瀬戸内 → 大阪府南部
こんな感じで九州北部は支配地域を広げていき
畿内を支配して東海と女王を共立する >>254
ないない。渡来人がほとんどだよ。D2遺伝子もってるのは4割で過半数に及ばないから半分以下。
しかもアイヌや沖縄ほどの直系なんて日本人で言えば1割未満だし。あとはほとんど渡来系の直系だよ >>252
日本に漢字が入ってきたのは6世紀。
はじめ仏教とともに漢字の読みも入ってきた。
6世紀の文化の伝来であれば、すでに消滅して1000年たつ国の言葉が入ってくるとは考えられない。
その呉がその後の中国の文化の源泉だという話も聞かない。 近畿瀬戸内海地方の銅鐸信仰が、銅鏡信仰に変質している
民族が丸々入れ替わったとは考えづらいが
この時期に何か(大陸文化的なもの?流入)が起こったのは間違いない
日本の神話は二段重ねになっている
海をかき混ぜて島が誕生するのは南方の島国民族では多い神話であり
高山に神が降臨するのは神仙思想で大陸に見られる神話だ
国津神と天津神に別れているのも二段重ねを確証させる
先に国津神が国を作り、後から天津神が産まれ、国を譲られ任されて行くことになる
多少の衝突はあったが、天津神勢力は少数であったために、緩やかに移行していったのが神話で読み取れる
どちらかが多数であれば、優勢だが大きな争いが描かれるはずだ
>>256
中国語が統一されたのは始皇帝になってからだからな。始皇帝の焚書坑儒で大量に古い文献は焼かれたが
それ以前の文書方式ははるかに数が多かった。それを統一したから、古い言語スタイルが日本に来てる可能性もある。 発掘場所から見て、文字用の硯じゃなくトリカブトの実を擂り潰す擂り皿だろう
北九州民が文字に使うわけがない 殺傷用の矢じりの毒だ
>>194,>>240
呉音は「対馬音(つしまごえ)」とも言われるように、朝鮮半島経由で入ってきた、
漢民族が南部に追いやられた南北朝時代の読み方。言葉は辺境に残る。 >>261
あくまでも日本での漢字の読み方の問題。
仏教伝来が日本での漢字の読みに一番大きな影響があり、その後漢字の読みが変わっていった。 >>261
漢帝国て秦の後だろ?
統一前の春秋から呉はあったんちゃうん >>266
日本祖語を中国系とみるからそう思うだけ。
中国系であるという根拠はまったくない。 >>1
砥石として保管されていた
それは再評価したのでたくさん見つかった >>268
その呉の話と、日本で使われる漢字の呉音読みとは別と考えるべき。 D2遺伝子が4割って事は思ったほど混血はしてないんだな。
>>269,>>1
(1)記紀を編纂し、国記・天皇記を焚書した渡来人の特徴として確定しているのは以下の事項
・寒冷地適応済みの民族だった (
)
・文字(漢字)を持たない民族だった.
・中国語とは違う(今の朝鮮語と同じ)文法の言葉をしゃべる民族だった。 >>274
37パーセントくらいだぞ。今もっとへってるんじゃね。命狙われてるからな
天皇家と同様に このタイプは >>214
日本語の起源として問題になってる「呉」は春秋時代の呉なんだから紀元前の呉 >>258
アメリカ人に原住民の血はほぼ無い。ごく一部の原住民の末裔とその混血のみ。
しかし、ほとんどの日本人は縄文DNAを15-20%持っている。 >>275
単純な見かたでは、日本人の由来も日本語の源流も見えてこない。
多方面からのアプローチが必要。
たとえば焚書事件は、天智天皇自身が、自身の系統の正当化のために起こしたのかもしれない。 >>278
それはそうだがw
漢字の読みに結び付ける議論があったので、それは間違いだと指摘した。 >>279
その縄文人っていうのが結構分類上怪しいと思うんだなぁ。ツチ族やフツ族と同じで
似非分類学なんじゃないかと思う ワキガだって排斥されてるけど、
あれは縄文人の血を引く証明なんだから尊重しないと。
>>276
いや文法も基本一緒
辰の言語が日本語の祖型とは文法も含めて
現代のシナペキン語とは全く違う >>284
縄文人に幻想抱きすぎだよな。天パで腋臭でけもくじゃらで 思ってるほどいいもんじゃねえからw 西北九州弥生人は人骨から完全な縄文人直径と思われていたが、ゲノム解析では縄文人と渡来系弥生人(現代本土日本人)の丁度中間だった。
左にいくほど顔の彫りが深く下にいくほど顔が上下に短い
南九州■>北九州△>西北九州○>長崎・佐賀■>大分■>南福岡■>中瀬戸内■
西瀬戸内■>西福岡■、中福岡■、関東・東北■、北福岡■、近畿■、山陰■
△縄文
○弥生
■古墳
こうして見ると西九州と南九州が特殊 >>264
可能性を言い出したらインドネシアだとも言えるから説得力がない >>278
そもそも日本語の源流は、紀元前数世紀に見るほど新しくはない。 57年で、金印外交は有った訳で、文字使用は確実なんだが、
紀元前200年には青銅の輸入はしてたんだから、漢4郡とも接触は有ったはず。
渡航能力が高かった、倭人側が後進国という状態には疑問はある。
海賊国? バイキング??
>>278
従来の音に対して
北部に都があった唐代に南部を蔑視する勢力が名付けただけ
南部の音っていうわけでもなくて雑多な音を含んでる >>293
縄文系に南方の漁労民がいれば、渡海能力は高いだろうな
そもそも日本にくるには渡海しないといけない 小学生の頃バカな担任が習字の時間硯は墨でできてるから洗うと溶ける。紙で拭けとか言ってたな。
俺は構わず洗ってたが周りのガキは担任の戯れ言間に受けて「溶ける」ってうるさかった。
硯は石だから洗っても大丈夫言っても担任の言うこと信じてたから後から考えると薄気味悪い。
>>282
縄文時代は長かったうえに大陸とは海を隔てていたこともあってか
DNA的には均一性が高いみたいよ
弥生時代の人のほうが人骨の発掘箇所が偏っていて分からないことが多い
縄文人と弥生人では弥生人のほうが分類としては怪しい >>262
鉄器や銅器が日本に入って来たのは紀元前3〜4世紀だから
竹簡や木簡が作れたはずだよな。 >>299
なるほどねぇ そう考えればそうだけど、なんかねぇ すっきりしないのよねぇ。
弥生人VS縄文人みたいな煽りしてくる人いるから ツチ族VSフツ族みたいに国内紛争させるために
諸外国がおあってんじゃねえのかとおもっちゃうことあるんだわ。沖縄とかアイヌもだいぶん独立とか煽ってるしなぁ 日本列島は古代韓国の流刑地だからな。
当時のハングルはまだ完全に整理されておらず、様々なパターンがあった。
それらを崩してできたのがひらがなやカタカナである。
>>299
弥生時代に渡来系の人が住んでたのは北部九州地域くらいで
他の所は縄文人が稲作を始めていただけで渡来系の人は来てなかった
鉄器や銅器を持ち込んだのは渡来系の人達だろう
北部九州地域では鉄器が普及して生産性が向上、人口も増えた
弥生時代に渡来系の人と縄文系の人が混血してから古墳時代に日本列島全体に混血した人達が拡散したんだ。 >>291
そんなもんじゃなさそうだよ
日本語の起源は紀元前4700から2700年が佃説
紀元後8世紀前後に萬葉集が11世紀前後に源氏物語ができたことを考えると佃説は妥当では
あれだけの芸術作品に日本語が洗練されるまでには生半可な時間の経過では成立不可能 >>304
証拠なんて聞くなよwデタラメに決まってるだろ。 >>308
でも流刑先が極楽って結構あるらしいからな 戦国時代も小笠原に流された宇喜多とかが
毎日釣り三昧でのんびり海みて暮らせて岡山なんて帰りたくないって帰らなかったし
アメリカも流刑されたやつらには極楽で英国とかに帰りたい奴いなかったしな >>306
日本人の成立自体がそんなには古くない。 車内で車掌を手軽に呼び出すにはどうすればいいの?
鉄道に詳しい人、教えて
10世紀に中朝国境の白頭山が巨大噴火
富士山大噴火の100-200倍の規模
奈良県にも降灰の記録があるので、朝鮮半島は灰に埋まった
神話等で古代日本では桃が重要なものとされていたけど、
桃の原産地は武王が商を倒す前の周でやはり周人に重要視されていた。
太伯が呉に封じられるときに持ってきたものが再度日本に渡来したんだろうな。
>>38
その神代文字が古代八母音説と矛盾するって事だよ
あとそのリンク先の片仮名と平仮名の2種類が存在する理由が分からないってのもおかしい
普通に大学で日本語史やってたらそれぞれの成立の理由知っているはず
神代文字の似非科学っぷりも知らないはずないし
それ書いてる人、たぶん少なくとも高校レベルの日本語学の知識で書いてるぞ 字が残ってないなら
硯を神として祀っていたかもしれんぞ
>>20 >>62 >>163
物部氏が以前の純和製文字を開発していて
蘇我氏が中国製文字の使用と統一を主張したので
物部氏が滅ぼされて中国製文字だけが残ったとか >>311
日本人の源流も紀元前4700から2700年
日本人と日本語は一体だから当然(分離不可)
この点についても >>259の佃論考参照 うーんでも 日本人が流刑にあった説はありえるかもなぁ。 倭人は入れ墨だらけだったというしなぁ。
>>20
頻繁に楽浪郡や帯方郡と交流してたのに文字が使えなかった訳がないだろ? 30世紀ぐらいの人が今の日本を発掘調査したら、
英語とかフランス語とかイタリア語の看板が沢山見つかるけど、
誰も読めないのと同じだ。
文字を使っている=庶民が使っている
ではない
>>1
だからずっと言ってるじゃん。
銅鏡の裏には何が書いてあるんですか?って。
バカでもわかるだろ。
文字だよ文字。
どうしても当時の日本を原始人国家にしたい反日左翼歴史学者に洗脳されすぎなんだよ。
日本は。 空白の4世紀の歴史をしりたいなぁ 文字があったなら全部わかるだろうに
>>327
そういう事だね。
文字はすでに使用されていたんだよ。
日本では。
誰も識字率100%だなんて思ってないのになぜか日本の考古学会は紀元前の日本人の文字使用を全面否定したがるんだよな。 >>317
神代文字を現代の日本語(50音)に置き換える最に狂いが生じている。 >>319
もちろん文法を記した文献はない(文法という概念が近代の産物)
遺伝子上の人種とその移動からその文法は現代の日本語にも残留していると推測される
なお著名な研究書だけど長田夏樹『新稿 邪馬台国の言語―弥生語復元』は参考になるだろう 卑弥呼とか狗奴国とか奴国とか卑しい当て字で支那の文献に残ってる名前が
日本でちゃんとした漢字で記されてる遺物でも出てきたら面白いのに
書の日本史という本で
神代文字が50音になってたら
それだけで捏造だと書いてあったな。
50音にまとめられたのは明治になってからで
それ以前は表音文字としてはもっと少なかったらしい。
すずりがあったからって文字を使っていたとは限らない。もっぱら絵を描くために使ってたかもしれないし。
>>334
ちょうちょうは昔はてふてふと書かれてたみたいな話か >>333
別に卑しくなくて単に日本語の発音に一番近い漢字を当ててるってだけの説もある。 >>335
漢字は絵文字だからなぁ 山=凸 川= 日=◎
アルファベットも元は絵だったとか 日本語かどうかもわからないし
渡来人が使っていたと考えるのが自然
文字が使えるとなると相当な権力者が日本に来てたんですね
日本には稲作を伝えた民族が何回もの移動の波となって渡ってきているんだから
当然、その移動民族の中には稲作だけでなく文字を伝えた人たちがいる可能性は
十分にある。
それを今まで左翼の馬鹿チョン教師が「漢字は朝鮮半島経由で6世紀に伝えられました」
などとアホなことを繰り返していたのがおかしいんだよ。
常識的に考えて紀元前一千年以前から使われていた中国の文字が一度も日本に伝えられて
いないはずがない。そのようなことのほうが不自然だ。
そもそも紀元一世紀に日本から後漢に使者が行っているんだから文字がなかったほうが
不自然なんだよ。
その時代は韓国人が住んでて韓字を使用していただけでしょうね
倭人は猿のあいのこの時代ですし
前から疑問だったんだが
現代では普通に墨汁が普及してるのにすずりを使う意味はあるのか?
>>279
アメリカ人に原住民の血は殆ど入ってないなどと紛らわしいミスリード狙いかな
多くのアメリカ白人が有色人種の血を受け付けなかったが逆に他人種へのDNA拡散は大
アメリカ先住民の90%は欧米のY遺伝子の一部を保有してるし多くの黒人もかなり受け継い
でる。縄文人は台湾先住民族ー中国沿岸ー半島ー日本本土。沖縄は黒潮バリヤーに囲まれ
本土から500K離れ沖縄移住不可能、本土は大陸や半島から沖縄は大陸と南方系 >>344
墨をすることから始める人もいるよ
書家などの趣味系とか
あと気まぐれに毛筆するような人も
普段使わない液体(墨汁)を置いとくより固体で仕舞っとくほうがいいし 魏志倭人伝に
>男子無大小、皆黥面文身。
>以朱丹塗其身體、如中國用粉也。
刺青してたり、朱丹を体に塗ってたりしてたらしいから
それ関係の道具じゃねーの?
こういうのを見て、秀真伝とかの偽史偽伝を信じちゃう人が出てきちゃうんだろうなあ
>>285
その辰の言語を使ってた人達は何処から来たの? >>16
これなんじゃね
正に鬼道を能くする卑弥呼に繋がる系譜となるから
邪馬台国関西派の朝鮮学党の意に沿わないけど >>324
入れ墨は海洋民の習慣だよ
そもそも船を操る術を持たない北方大陸系の人間が日本に渡るのは困難 現在の天皇家につらなる時に文字焼いちゃったので、
神代文字なくなったんだよね
今だに、神代の発掘してる宮内庁ぽいのが邪魔にしに来たりするらしい。
>>348
邪馬台国は普通に中国に文書送ってるでしょw とわいえ、ろくな巨石建造物もないし
日本の古代文明に過剰な期待はすべきじゃないよ
おっ、ゴッドハンドかな?
もう禊は終わったんでちゅか〜www
>>346
大化の改新で大規模な焚書やってるんだよね。 硯があるんだから文字の使用は確定だろ。
半島南部は倭人の国だし。
>>358
渤海国を歴史で殆ど教えないから勘違いしてる
人多いけど、渤海との交易はとても盛んだった。
朝鮮より重要な国交を樹立していた。 紀元前じゃ飽くまで地理的な日本列島であって
日本も日本人もねーけどな
で、住んでる家が、あの三角の暑そうな、世界のどこにも類似のない藁葺の三角屋根の家か?
良い加減に、土呂や田能の庶民の家の復元を訂正しろよ!
あんな家に住んでた訳がないだろ? 考古学者はバカばかりだな。
百済等の王族だけでなく、
中国の三国時代の後だが、曹氏(曹操などの系統)の一部も日本へ移住してるようだし、
もっと前から、同様のことあってもおかしくないよな
天孫降臨の話は、それ相応の身分で後の天皇の先祖になる大陸の者が、
命からがら日本へ逃げ延びてきた話を、美談化しただけかも
>>366
そりゃそこ迄遡ればね
最初の邂逅は遭難ではなかった?
入れ墨していた倭人とは違う >>365
それが妥当だよね
九州の南西方面から北上して九州北部に定着した海人族が
朝鮮半島南部と繋いで日本の領域を作ってたんで、古代日本語と古代朝鮮南部語は当然に似てた訳で
その後、海人族は海沿いに活動域を拡げて川沿いに遡上したりして山の上まで影響下に入れたけど
国のフロントラインで活動してれば、情報と意思を伝達する文字ぐらいは必須だもんな
海人族の入墨文化から入墨鬼道ムラ国家邪馬台国への線も濃いけど
桃の種唯一絶対証拠説wほど無理矢理な珍説でもない >>370
そう思われてきたけど、調べてみたら何故か天皇家は縄文系だったんだよね
色々複雑な事情が有りそう この場所ではなかったと思うが、数を表す記号が書かれた木簡は出土してたよな。
紀元前までさかのぼるか分らないけどかなり昔から文字の文化はあったと思ってる
だけど木簡や竹簡の技術はまだ無かったから土器に書いたり鉄剣に掘ったりしてたんだと思う
遺物が硯だとしても、それで字を書いてたかどうかは検討の余地があるしなあ
つまり北部九州は倭人伝にある、風俗を描かれた舞台ではない、という事に他ならないをやだよなw
普通の倭人は文字使用していないんだろ?
弥生時代どころか縄文時代、旧石器時代でも海人だからな。
神津島の黒曜石を取ってきてたのが何よりの証拠。
日本にも中国みたいに竹簡が井戸から大量出土とかあったら面白いんだけどな
>>381
日本製の三角縁神獣鏡の裏に漢字が刻まれてるんだけどなぜかみんな無視するよねwww クーデターで政権ぶんどった中臣鎌足が
それ以前に書かれた書物を全部焼き捨てて新たに捏造した歴史が古事記と日本書紀
その結果日本には文字がなかったとされた
古代史はわからんことが
多過ぎるが、先進地域は、
交易して文化が進んでたんだろうな。
日本は珍しいものが沢山あるって
記録されてるし、取り引きで文字は
使うから。
これは問題なのは、文字があったありきで、硯という仮定をしていることだよな。
硯かもしれないというのは、色々考察して可能性としていえるかもしれないという事であって、
決して硯かもしれないから、文字がその時あったといってもいいという論理には到底なりえないわけで。
これは学問的な本質的な問題だよね。
>>387
まあ、半島から貿易で来てた人間の死とともなって、一緒に埋葬されることはあるだろうな 当然あるよな
わかってたこと
日本はどこよりも早く翡翠を加工してたんだから
まず一義的にそれが本当に硯であるかどうかを考察すべきであって、
硯であったとすれば次に初めて何の目的に使われる硯であったかを考察すべきであって、
頭の使い方がおかしい。
それは学問的に非常に重要。
そらそうよ 使ってたよ トンスラーネトパヨが発狂するけどな
>>387
硯は固形顔料(墨)をするための道具で、字を書くための道具じゃない。顔料を水に溶いて使ったのが、字を書くためのか絵を書くためのわからない。
日本考古学はこの手の論理の飛躍ばかりだから、捏造が入り込みやすい。ホラを吹いた者の勝ちだから。 最初から文字があるかもしれない仮説を展開して、
ねつ造を助長する姿勢が根底にあるんだろうな。
まあ学問としてのロマンとか理屈はあるんだろうが、明らかに遺物考古学としてはアウトだろ。
何に書くかというのも考慮しないと
その時代の日本に紙があるわけがない。
土器に書かれてた程度で、文字を使用したと言えるのかどうか。
翡翠を加工したのは中国より日本が遥かに先だってこと
このことを日本人は理解しておくべき
日本から技術が伝わったんだよ
大陸から渡ってきた集団があれば、当然使っているだろ
そういう渡来人のDNAとか、その時の生活様式とか、
それを発掘と全体像を示して、その中で硯が文字の為であるとかなら説得力があるが、
硯があるから文字があったかもしれないじゃ、学問にならんよ。
俺の占いで日本は紀元前から文字を使用してたと出てる
学者も超能力使え
やっぱり天皇家は大陸からの侵略者で
邪馬台国とかの本来の日本の一族の文化を破壊して征服した後に
自分たちの歴史で上書きしたという事じゃないのか?
天皇家は皇紀2700年の歴史とか半万年の歴史なみに嘘臭い事いってて
誇張好きな所が朝鮮人そっくりだし、神白文字が全く伝わっていないのも
侵略して自分たちの文化で上書きしたからという事なら納得できる。
>>400
当時はまだ本来のなんたらみたいのはないでしょ。しかも、近代以降の国民国家概念に基づく枠組みから過去を見てもしょうがない。半島民と同じレベルでやり合う必要はないよ。 日本に文字が入ってきたときは
すでに中国には紙もあった。
手習いには削って使い回せる木簡
輸送タグにも木簡。
国庁の戸籍などの保管用には紙。
と使い分けられてたようだ
>>343
だね、韓国人の支配下地域だったって証明だし
日本人は不法占拠の不法滞在者だから早く退去しないと駄目だよね 一方ウンコリアンはウンコで遊んでいた
さらに古墳に絵を描いた
すずりってのは墨をするための道具だが
するための墨の欠片とか出てこないのか?
少なくとも土器に付いた煤をヘラのようなものでこさいだ跡があるはず
煤を集めて油で練って羊羮みたいな形に固形化して初めてすずりが道具として役に立つ
そこまで発展する手前の段階の墨を使った形跡がないとなあ
漢委奴国王←なんて読むの?これが倭国王じゃないの?
岩刻文字とかいうやつは完全なネタだから騙されるなよ
>>408
はっきり言って諸説あってはっきりしてない >>5
パソコンでエロ動画を見るのに、
右でマウスで操作するため。
サウスポースタイルでGできるようになった。 >>408
漢の〇の〇の国王なんて3段読みの例は無いから
漢の委奴の国王が正しい
委奴の解釈は色々あるが分からんな。 >>345
現代沖縄人の主要な祖先
×ピンザアブ洞穴人(2万6千年前)
×白保竿根田原洞穴人(2万年前)
×港川人(1万8千年前)
○本土から渡って来た縄文人(先島諸島は古くとも1万年前以降)
現代沖縄人DNAの遺伝系統「日本本土に近い」
琉球大学大学院医学研究科の佐藤丈寛博士研究員、木村亮介准教授、北里大学、統計数理研究所の共同研究チームが、
現在の琉球列島に住む人々の核ゲノムDNAを解析した結果、遺伝的に琉球列島の人々は台湾や大陸の人々とつながりがなく、日本本土により近いという研究成果を発表した。
琉球大学が16日、発表した。また、沖縄本島から宮古、八重山諸島へ人々が移住した時期をコンピューターで計算した結果、古くても1万年前以降と推定。
宮古のピンザアブ洞穴人(2万6千年前)や石垣の白保竿根田原(さおねたばる)洞穴人(2万年前)は、現代の宮古、八重山の人々の主要な祖先ではないと結論付けた。
これまで、骨や一部DNAの分析から、琉球列島の人々は中国や台湾より日本本土の人々と近いとする研究成果が発表されてきたが、
今回、初めて全ゲノムを網羅した解析によって同様の結果が導かれた。今後の琉球列島の人々の起源を探る研究の一助として注目されそうだ。
西北九州が弥生化を拒み長い間にわたり保持していた縄文以前の習俗(祭祀・呪術)や言葉などは旧石器〜弥生時代を通して円筒石斧域を南下して広がっていた。
沖縄諸島の人々が八重山諸島へ移住したのは古くても1万年前以降。
日本側から大陸へは、A:朝鮮半島沿いを北上 B:東シナ海を渡海 C:九州西側沿岸を南下して沖縄本島から上海に渡海といったルートがあった。
約2万6000年前に宮古諸島に存在したとみられるピンザアブ洞穴人や、約2万年前の白保竿根田原洞穴人(八重山)は
「現在の宮古・八重山諸島の人々の主要な祖先ではない」と結論付けた。
一方で約1万8000年前に沖縄本島に存在したとみられる港川人と、現在の琉球列島の人々との遺伝的な関係を否定することはできなかったという。
ただ、今後の精査の必要性を認めた上で、「港川人もまた、沖縄諸島の人々の主要な祖先ではない可能性は高い」とまとめた。 >>345
琉球圏は、トカラ海峡以南のトカラ列鳥の一部と奄美諸島、沖縄諸島の地域で、黒潮本流の外側のサンゴ礁島に特徴を示す地域である。
九州島、大隅諸島に展開された「島嶼文化」が形成され、それは縄文文化や弥生文化の影響が多く認められる事から、
この地域に本土の先史時代人が南下したことは明らかである。
琉球は旧石器時代終末期(細石刃文化)以来九州本土の影響下にあり、縄文草創期に種子島で「栫ノ原型」と呼ばれる特徴的な丸ノミ形石斧の製作肚が確認された。
また屋久島では縄文後期に100軒を越す大規模集落が形成されており、石皿・敲石などの植物質食糧加工具が大量に出土している。
>>345
縄文早期に鹿児島佐多岬南の海底にある鬼界カルデラで、巨大噴火が起った。
この噴火後に九州は縄文前期に突入し、広域に分布する土器型式(轟B式土器・曽畑式土器)が誕生した。
>>345
縄文前期に熊本の曽畑式土器が、また縄文後期に鹿児島の市来式土器が沖縄本島で確認されている一方で、
逆に琉球で発達した「南島式土器」が、縄文晩期に北琉球や鹿児島本土から少量出土している。
>>3
併合後に、朝鮮人を教育したのが 日本人 だからな・・・
お前らハングル文字でさえ日本人に復活させてもらったんだぞ >>412
偽物の可能性が極めて高いものに色々考えてもしょうがない。 >>418
検証されてるが偽物の可能性は極めて低いよ
出土の経緯に付いては怪しいが。 >>418
本物の金なんだろ?
偽物でそこまでやるかね
しかも出土の形が普通じゃないし >>398
まあ絵=文字だからなぁ 山の絵を地面にかいたら もうそれは漢字の山だし、
絵を誰かが描いた時点で文字とあるいみ呼べるわ。それみてだれかがあっ山だって
わかれば文字としての意味をなしたってことだからな 山→川↓とか書いておけば案内地図になるしな >>413
htlvの分布地域が縄文人の末裔でOK?
沖縄、アイヌ、三陸、南紀、高知県、鹿児島県、長崎県五島列島。 字以外にも絵を描くのにも使えるのに、字を書くためと断定するだけの根拠は?
>>424
広義の意味で絵=文字だから。文字の原型は象形文字が多く 漢字もアルファベットも
元は絵だといわれる。 絵を書いてなにかを伝えることができればそれは文字としての
役割を果たすことになりえる。あくまで広義の意味だが >>420
玄界灘の海流の関係で志賀島は難破船の漂流物がたどり着き場所じゃない。宗像大社のある辺りに流れ着くのが普通。博多の漁師さんはみんな知ってるよ。
それに他の地域の支配者に配られた金印は見つかってないんでしょ。 >>420
純度95%くらいだったな
当時流通してた小判は純度が極端に低いく
偽物だとすると純度95%の金をどこで手に入れたのか問題だし
何で漢代の金が純度95%だって知ってたかも疑問だし
見た目で純度までは分からんのにそこまでするかってな。 >>427
それを詭弁と言うんだよ。日本の考古学では通じも海外には通じない。 独自文字があったのなら、土器や銅鐸に書かれてないのが合点がいかない。
あんだけ紋様がかかれているのだから文字だって書いても良かったはずだ
文字は書けるのに絵も書けるのになぜ地図を書かないのか
>>431
インディアンとか糸の編み方が文字の役割を果たした部族があったらしいからな。
手紙の代わりにいろんな色の糸を組み合わせたものを渡せば 母が死んだ帰ってこいとか
弟が来年結婚するとか意味が伝わったらしい。あんがい縄文時代の文様も意味があるのかもしれんな 韓国人が持ち込んだもの
よって文字の起源は大韓民国である事は確定的となった
このことを直視しないから歴史も直視出来ないのだ日本民族は
日本市民として恥ずかしい
>>432
昔というか今もだけど
地形というのは軍事につながるトップシークレットなので
なかなか残ってはいないかも。 硯が伝わってるなら一緒に文字が伝わっててもおかしくないけどな
神代文字とか、書いてたのかな?
>>429
九州は対馬や大分鯛生に金山があるから、純度の高い砂金が手に入りやすい。 漢と直接交流していた時点で、文字使えなきゃならんわな
>>435
文字情報は大量にあるのに全くないというのが不思議
足を踏み入れられるなら誰だって書ける程度の図一つ残っていないとか 乙巳の変(いっしのへん・おっしのへん)の後に「焚書」されたんじゃない!?
>>394
土器に魚とか木の実とか肉とか塩とか書いて分別してた可能性はあるんじゃね? うーん 縄文土器みてるとなんとなく祝いの文様っぽいなぁ。
やっぱり土器焼くときって結婚とか出産を機に土器を増やしたんだろうなぁ。
見てると何となくそういう雰囲気が土器から伝わる
>>400
D2遺伝子は旧石器時代に中国で別れて先ず日本へ来て縄文までを築いた
その後もう一度日本に到達してD2が再入している
1.5~2世紀までは日本は大陸と完全に離れる過渡期で
この頃にいた人間は必ずしも国別の民族かどうか定かではないが
朝鮮半島にD2が殆どいない事を考えると天王家がD2なので
渡ってきて朝鮮人が日本を支配したなどと言うのはファンタジーと言うより辻褄が合わない
いい加減文化の伝来とゲノム的な遺伝子的な分岐は別物だと自覚すべきだ >>447
それ宇野正美大先生がいってたなぁ。それが古代ユダヤで天皇家だって >>392
李朝朝鮮では日本刀が入ってきたがその使い方は装飾品のような使い方で輸出元の一般使用でないってのはある。
でも刺青は台湾先住民の刺青を考えれば、顔料潰しは普通の石でも出来る。
ゆえに縄文時代から顔料つぶしはある。その代用品でわざわざ長方形にするとか考えにくい。
ま、まとまった数で出土してるんで流通はしてるが、トンチンカンな使い方は十分に考えられるが、
一つの例として同時代の出雲の硯の出土場所は祭祀の場所ようなところから出土している。
これは田舎では貴重品として認識されていたと見ることが出来る。
となれば、出土の中心地も似たような認識と利用があったと考えて良いだろ。
文字は銅銭などで確実入ってきてるから、一部では文字そのものを図柄として神格象徴した可能性も十分ある。
しかし交易があった段階で相手側が文字を利用していたとなれば、それを理解しようと努めれば利用も同じになる。
縄文地域の水田と同じように初めは形から入り、学習を繰り返せば本来の利用が出来る。その初期ではなく、もう少し進んだ前期の段階と思われる。 トンチンカンな使い方って…
墨が付着してたって
>>1に書いてるじゃん 硯があるから文字がある、は飛躍しすぎてるだろ。
ネアンデルタール人だって絵を描いてたんだから、まずは絵を描いてたって考えるのが普通。
ホモ・サピエンスが発生してから文字が出現するまでに何年掛かったと思ってるのか?
自然発生で文字が生まれる可能性は著しく低い。
弥生時代が原始時代のはずがない
原始時代から急に飛鳥時代になるはずがない。
飛鳥時代になるためには、一般的な弥生時代のイメージより
最低でも500年の文化の蓄積が必要
倭地は温暖にして、冬夏生菜を食す。
皆、徒跣。はだし
屋室有り。父母、兄弟は異所に臥息す。寝る
朱丹を以ってその身体に塗る。 ←これやろ
中国の紛を用いるが如し。
食、飲には?豆を用い、手食す。手で食べる
発掘された硯と言われてる石
今でも使われてる砥石
発掘された石を硯とするのは飛躍し過ぎな気がする >>459
これが硯なのかぁ。 素人では断定できんな・・・ ボディペイントや入れ墨説を推すとか、おまえらの見識に惚れるわ。
これが他国なら間違いなく文字文化の証拠だと大騒ぎするんだろうが。
天皇家の先祖は渡来系でも構わんが、
中国史に残る大物の子孫だと良いなあ
奴国が洛陽に行って金印を貰ったのが西暦57年、奴国に漢の首都は洛陽だと教えたのは
楽浪郡の漢人なので奴国などの北部九州の国々は楽浪郡との交流は紀元前からあったはず
なのでその頃に漢字を目にしたのは当然だろう。ただしこれはあくまで北部九州の事で
本州はまだ原始時代さながらの穴蔵で寝起きする野蛮な生活をしていたと言う事だ。
当時の北部九州ではきちんと服を身にまとい字も書いてそれなりに文化的生活をしていたが
本州はまだ縄文時代真っ盛りでドングリ拾って食べたり、魚をとって食べたりして
畑で野菜を作ったり米を作ったりする事は無かったと言う事だ、北部九州よりも千年ほどの
文化の遅れがあった事になる
中国や朝鮮と交易があったってことは侵略の恐れがあったにも関わらず、軍事力で明らかに劣るはずの日本は魏から金印を授与されるなど破格の待遇を受けた
これは何故かと言うと当時は巫女の祈祷が民間に信じられていた時代で、魏王が国内向けの求心力の強化に使ったとか
海を支配する呉を抑えるために水軍を持つ日本を同盟に引き入れようとしたとか
北方騎馬民族に加え蜀呉を敵に持ち、むやみに敵を増やすのは避けたとも考えられる
すずりがあったからって文字を使っていたとは限らない
お絵かきしてたのかもしれない
当時は紙に書かずに木の板に文字を書いていた訳だ。所謂木簡と言うやつだ
神代文字・出雲文字等々の文字が有ったことが分かってる。
パヨク屋支那チョンには、大迷惑な話だが。
マスゴミは、報道しないからな。
>>470
チョーセンジンは勉強しないのが丸わかり
もともと欠陥脳で学問には不向きというのが正確なんだけど >>72
あー、我が国のご先祖様達なら、その頃から萌えイラストを描いてた可能性は高いな そのうち竹島みたいに軍占領されるわ
「ここは古来より我々韓国人が支配していた」ってね
普通に考えてただの薄い石を硯として文字があったってのは飛躍だろ。浪漫はあるかもしれないが、木簡も書物もなければ科学的にはアウト。
そういう木簡や書物の捏造を促すもんだ。
なんか最近弥生と朝鮮を結び付けてことさらマンセーする調査記事が多いな
筆の使用は漢字文化圏を強調する中国の国家戦略なんだけど、中国のインテリが最初に体験するのが英語の文法との一致とその簡便さと合理性だから、まあ共産主義による愚民政策とでも言えるもんだろうね。
>紀元前100年ごろから文字が使われていた可能性があると指摘
その文字が見つかってないからな
壱岐島の遺跡の「周」は1〜3世紀だが
交易に来てた大陸人が書いた可能性が高いし
4世紀の「田」は文字ではなくマークの可能性もある
>>471
ウヨってそんなオカルトを信じてるの?
我々の文字は朝鮮人に教えて頂いたものだぞ >>480
刻書土器だが奉はさすがにマークじゃないだろ >>480
縄文時代から大陸と交易してたんだろ、向こうに文字が有って使われてたら文字を習ったはずだよ、、知らなきゃ取引出来ないし
でないと金印なんて貰えないよ、文字を使う相応の文化文明の有る国だと見られたから金印を渡したんだよ >>465
魏志倭人伝には倭人が文字を使用していたとの記述があるし
漢に朝貢するにも文字を知らないと難しい、文字を知らない相手に「漢委奴國王」印なんて贈らないな。 >>464
弥生時代には民族的にも本州と北部九州は違っていて
本州には縄文人、北部九州は縄文人と渡来人の混血が居た
北部九州では鉄器や文字が普及して農業生産力も高くて人口密度も他の地域より高かった
魏志倭人伝を読むと北部九州の人口の多さが分かるね。 これが入れ墨用のすずりとは考えないのか
文字より前に入れ墨していた可能性があるからな
普通に先進国韓国の人間なだけだろ、日本スゴイホルホルになる意味が分からん
まあ、紙に書いたか木に書いたか
あるいは人に書いたかは検証は難しいな。
>>47
一般人は文字を使わなくても、
魏との外交で書記がいたんじゃないか? >>495
乗込んだ商人は現場で見て覚えた 文字の存在を聞いた族長達は頭の良い若者を留学させてたと思うよ
大事なのは「遣唐使」等のは聞いても半島へ留学した話は一つも無いんだな、書かれているのは半島から来た持って来た…とだけしか無い
コレは半島の文化が日本以下だったと言う事だ 最近の考古学歴史学は弥生古墳時代を通じて渡来人は継続的に続々とやって来たという歴史観になっている。他方、弥生時代古墳時代は東アジア基準で見るととんでもない辺境の特異な文化が栄えた時代だった。
この両者を合わせると、続々とやって来る渡来人が持ち込む新しい技術をじゃんじゃん使って辺境特異文化をどんどん発展させて行ったのが弥生古墳時代だ、という事になるのかねえ。
列島がド僻地なら渡来人は何をしに来たんだ、渡航するだけで何割か死ぬんだよ
知識層や技術者達なら大陸に残って方が安全で豊かな暮らしが出来てたはずだろ
国を追われても地続きの半島へ行った方が何倍も良いはずだ行ったとは書かれてないし
列島が安全で豊かな文明国だったとしか思えないんだよな
中国人やインド人の世界観では東西になにかすごい理想郷があるという世界観でしょ
西はシュメールだとすると東は日本になる。
ユダヤなんかは東の果てから救世主がやってくるみたいな世界観
無文字唯刻木結繩 敬佛法於百濟求得佛經始有文字(隋書倭国伝)
訳:
文字はなく、ただ木を刻んだり、縄を結んで文字代わりにしていた。仏法を敬い、百済に仏典を求めて手に入れ、
始めて文字を有した
百済から仏教の経典を入手するまで文字を知らなかったとある
九州では>>1の通りもっと前から文字に触れ使用しているので、畿内と九州は別勢力だったと分かる (-_-;)y-~
小学一年生がいきなり仏教経典とか無理。
おそらく文字は梵字のことやろ。
縄文時代はシュメール王朝だった日本
過去の歴史に蓋をし続けた人たちがいる。
古代は追求しないほうがよい。
>>504
古事記に載る神界高天原の設定は 中国の天界…西遊記の序盤と同じなんだよ 縄文の昔からの付き合いで影響されて来たんだろうね
中国に仏教が広まったのは三蔵法師…唐の時代からで日本の飛鳥時代になる、聖徳太子がムリヤリ広めたとあるし
それ以前は古事記を読めば判るが神様の時代で 仏教なんてお呼びでなかったんだ >>504
文字も知らない民族が、仏法を敬いいきなり仏典を求めるって発想はすごいよな。 >>497
と言うかその古墳がクルガンなんだよね。
でもクルガン文化が途絶えたのって、紀元前5世紀頃で
弥生の初まりとは符合するんだけれども、
日本で古墳文化に入ったのって、2世紀頃なので、
まったくもって何がなんだかなんだよね。 >>400
そうじゃなくて、任那日本府撤退時に
撤退組が簒奪したんだよ。 >>486
匈奴とかには金印送らなかったのかねえ
漢匈奴國王みたいなw >>513
というより、半島の人間が九州に進出して、半島と九州にまたがる海洋国家の倭国を作った。
その後、半島での勢力が衰えた代わりに、近畿にも勢力を伸ばし(神武東征)、九州倭国が白村江の戦いで
朝鮮半島から、追い出され勢力を弱めると、近畿倭国が日本書紀をでっち上げ、大和朝廷を名乗った。 >>275 >>465
じゃ、何の為に硯が有るんだ?
水墨画を書くためか(笑笑笑)
俺はお前こそアホとしか思えん。 >>480
当時非常に貴重だった紙は直ぐ腐って無くなるからな、
支那の最古の紙が紀元前150年頃となっているから、それより数百年は遡るだろうね
紙の歴史は・・・ 当時は大陸のものは倭人にとっては何もかも貴重で憧れるものばかりだから
字書けないけど貴重品として置いていたとかそんなレベルだろう
>>512
クルガンは江上波夫著「騎馬民族国家」のスキタイの所にちらと出ていますね。
「巨大銅鐸、巨大銅矛祭器、鏡への偏愛熱愛、巨大前方後円墳などなど」と渡来人とは似つかわしくなく、これらは当時は非大陸的で土着民的なもの。このあたりちょっと訳分からんです。 縄文式 弥生式なんかの土器の呼称が考古学の発達した今の
時代呼称に適切かどうか
渡来系というとすぐに半島に短絡する傾向も困るな
>>436
国旗燃やしてる民族みたいなヘイトスピーチだな
やれやれ 57年に朝貢して金印をもらった奴国の王の名は記録が無い
107年に朝貢した帥升は倭国側でどの王か不明
これらの朝貢がかかれた後漢書とか
魏志倭人伝に合わせて
6世紀の倭国が作ったんじゃね
筑紫城で32代王が続いた
>>512
そのグルガンぞくのおとこは しずかにかたった…
このだいじしんでさえも たんなるよちょうにすぎぬと。 ・・・刺青はどうやって入れてたんだ?顔料を作るのに硯みたいなの使ってなかったのか?
>>519
勝手に兄の国を呼称されてもな
倭に朝貢する分際で 大分には数カ所で岩場に神代文字が掘られてるけど
いつの時代かわからんからな
紀元前なのは間違いないけど
>>528
ウガヤ朝やね
上記の話が本当なら、日本の歴史はヤバイ事になる >>510
南北朝、隋の時代で仏教は広まってるだろ、中国。
唐の玄奘三蔵は、そんな中で、既存の仏典に疑問を持ったわけで。
西遊記は明の時代のもんじゃねえの? このニュースで朝鮮半島を出す意味が分からん。
漢から伝わったんだろ。
>>522
鉄剣のおかげで記紀の大彦命はその以前から実在した人物だと思われていたことがはっきりしたからな
つまりけっし8代が不比等などが後にでっち上げたものではないことが分かった。 >>37
これだけ先祖の名前がわかるということはやっぱ文書で残ってたんじゃないのか?
暗記で覚えられるとは思えん 決定、確証もないんだろ
「硯じゃないのかなぁ〜」で文字の使用を遡らせるのかよ
当時の基本的な情報伝達手段は暗記と口伝だよ。
だからこそ古事記は稗田阿礼の口述を文書化する事で書かれた事になっている。
文書より口伝の方が信頼性が高いと見做されてた事がわかる。
当時世界の先進国であった中国は、文明のない後進国の日本人にとって憧れの国だった
埼玉で発見された金の鉄剣に書かれた当時の倭人の字が現代人の手書きとよく似てて同じ日本人なのがわかるな
>>121
金印をもらったということは
金印読むために文字勉強してた可能性は高いな
読み書きできたのは一部のエリートだけだろうがまあ使用してたんだろう 「九州北部を中心に相次ぐ」は間違いで「 九州北部だけに相次ぐ」と変更する
九州北部以外には出土してはいない、本州から出たのは硯石に似ている只の石のかけら
もしもあったとしても今の日本語のルーツとは違うでしょ
平安時代に突然文字が現れたんだし
>>546
平安時代に突然文字が現れた
ギャグ?煽り? 中国の冊封体制下にあったんだから当たり前やろ
アッチは根っからの官僚国家、文書主義やで
>>526
どうだろう
単色で大量となると鉢みたいなので磨り潰したほうが能率が良いが でもまともな文書は残っていないよね卑弥呼の情報も中国側の資料が頼りか
だいたい石器時代が低級文化ってのも怪しいもんだ
猿人でもあるまいし、今の人間と変わらない人だろ
単なる文字じゃなて
ちゃんと中国から渡来した文字と書かないと
やっぱり神代文字はあったと勘違いするアホが湧くぞ
>>497
その渡来人というのがどの民族を指すのかわからんけど、
弥生文化といえるものは半島南部から列島にかけて広がっていた倭人文化であるというのは同意。
その倭人文化と楽浪郡、帯方郡との関係は隣国の考古学研究の成果を待つしかないな。 >>12
日本の考古学が信じられなくなった
歴史修正、改ざん
安倍とゴッドハンド、やってることは同じ たぶん記号のような表音文字はあったんだろうって気はする
支那大陸から漢字が入ってきて、漢字の優秀さ、便利さに気づいたんだろう
でもそうなると、漢字との混成文書があっても良さそう
これから何か出てくるかもね
表音文字があったなら何でわざわざ漢字に音を夜露死苦ばりに当て字してるのよ。
当時は漢文もどきしか記録が無い。
仮にそんな便利なものがあったらもっと幅広く採用されてるだろう。
日本書紀によれば一書に曰くと呼ばれる参照文献がいくつもあったことが分かっているが、それはどんな文字で書かれていたんだろうなあ
>>516
洞窟壁画なんてクロマニヨン人が書いてるじゃない >>559
魏志倭人伝参照に載っけてるぐらいだから中国史書は、読んでたろ >>558
百歩譲って独自文字が存在しても貿易的には、漢字を採用するだろうな キリスト基準の起源を文明の発達度合いに当てはめて考えるのは意味ねーだろ
>>556
みんなグルで、マスコミが介入しないと自浄作用が働かない腐った業界だよ。
自然にできた貝層を貝塚と言ったり、だだの地滑りを採掘ズリと言ったり。一般市民を喜ばせて、お金が動いて自分が目立てればそれでいいんだよ。 >>564
食えないから過剰宣伝される
世界遺産なんかも過剰宣伝が成功したものから認定されてよいものなのか >>561
太安万侶には読めない書物もあったと思われるけど、稗田阿礼には読めるけど
それはどんなもじなんだろうか? 硯だと判断した石は墨すれないだろうね
墨をする面が不均衡で墨がこぼれてしまう
>>566
現代の人間が古文書みても大半の人間は、読めない
一部の人間が読めるか読めないかと文字が別系統かはあまり関係ない
漢字のあてかたにも一貫性があったわけではないし
一貫性があったわけでないのだから史書を書くために文字が輸入されたのでなく交易などで使われた考える方が適当じゃないの 鏡が大量に創れたのに硯が造れないとは思えない
問題は、目的通り使えたか
交易は、間違いなくしてるだろうしな
>>549
無文字唯刻木結繩 敬佛法於百濟求得佛經始有文字 (隋書倭国伝)
文字はなく、ただ木を刻んだり、縄を結んで文字代わりにしていた。仏法を敬い、百済に仏典を求めて手に入れ、
始めて文字を有した
百済から仏教の経典を入手するまで文字を知らなかったとある
九州では>>1の通りもっと前から文字に触れ使用しているので、畿内と九州は別勢力だったと分かる わざわざ硯を作らなくても煤とか木炭で書けたのでは?
>>570
問題は、隋がどんだけ倭を知って書いたのかよくわからないってこと
それを完全な答えと思いこむのは極端 >>568
もし稗田阿礼が読めたのが漢字の古体字だったとして、それなら太安万侶の存在意義はなくなる。
古体字の漢字が読めるけどその時点の漢字は書けないという事は考えにくいので 渡来人は行き来してるんだから
硯くらいはあるやろうな
むしろ全然普及しなかったんだなって
>>574
国家プロジェクトなんだから学者と官僚の差でしょ >>3
だって漢字じゃない文字なんてダッサーい!と廃れていたのを日本人が復活させてやったんだぜw >>574
記号的にもの書くのと文書残すって全然意味が違うからね
言語表せるようになるのに相当時間かかると思うよ >>531
ギリシャの記録じゃないとわからないインドっちゅう国があってな >>565
文化財行政予算でそこそこ喰えてるでしょう。それにほら吹いてるのは大学や行政の人で喰うに困らない連中だから。
村社会で批判精神がないからホラを吹いた者勝ちになってしまう風土がいけないと思うよ。予算消化しなきゃいけない文化庁が不正を後押ししている所があるよね。 >>578
普通は現代文書くのと古文書読むのでは後者の方が難易度高いと考えるけどなあ >>571
最低限ならそうだろうけど大陸から便利アイテムあるよ〜って最新スマホ見せつけられりみたいに売りつけられたとりあえず何個か買うだろ >>571
硯は直接的には字を使った事でなく、固形の墨がすでに使われた事を意味してますよね。墨が輸入品だったか、すでに日本で作っていたのかですけど。 それほど史料価値は認められてないが面白い発見とかあるんじゃないのかね
学生時代稲作伝来についてかじったことあったけど当時はまだ稲作伝来は弥生の頃て意見が強かった
今や縄文時代からやってたという認識になってるみたいだし歴史は上書きされる
>>581
そうかね
例えば文字を持たないアイヌやポリネシアの人間なんかが、交易に関わる人間が、他国の文字を習得しても自国の言葉を文書かしようとはなかなか思わないんじゃないか そもそも春秋戦国で大陸叩き出された楚や呉や越の人らが大量に日本に来てるんだからそうなるわ
>>526
その説面白いな
入墨しまくってたからな >>585
いやだから古事記の元になった古文書はどんな文字で書かれてたのかって話
万葉仮名に直すのがものすごい苦労してるから、大和言葉で書いてたと思うけど ●「日本人とユダヤ人の先祖は同じである」という説を日ユ同祖論という。これを最初に言い出したのは、日本人でもユダヤ人でもなく、スコットランド人のノーマン・マクラウドという人物が言い出した説である。
このノーマン・マクラウドなる人物のことはよくわからない。一説にはイギリスでは売買を商っており、日本や韓国では宣教師として活動ながら「イスラエルの失われた十支族」を探していたという。
マクラウドが日ユ同祖論を展開したのは、イギリスに元々あった「イギリス・ユダヤ人同祖論」を日本とユダヤに当てはめたものであるらしい。
内容は、日本の天皇、宮家、公家の儀式とユダヤ教の儀式が似ているからというものであった。
ちなみにアメリカの黒人は「イスラエルの失われた十支族」である説 。
ネイティブアメリカンは「イスラエルの失われた十支族」である説。
韓国人は「イスラエルの失われた十支族」などなど世界中にあるらしく、特にめずらしいものではないようだ。
日本の場合、ノーマン・マクラウドの講演を聞いた日本のキリスト教指導者数人が、明治から昭和初期にマクラウドの説をさらに解釈を加えて日ユ同祖論を作っていったらしい。
なぜか?
明治〜戦前の日本はまだまだ二等国だと思っており、なんとか一等国に欧米のキリスト教国に思ってほしかったのである。そして日本は偉大な国であり、神の国であると日ユ同祖論者は口をそろえる。
例えば、「日本は神の国である。ゆえに蒙古襲来の神風から日清日露戦争にいたるまで負け知らずであったのは、我々日本人がユダヤ人と同じく神に選ばれた民だからだ」
とか、「旧約聖書に数か所「日の出る所から、その沈む所まで」という聖句があるが、この中の「日の出る所」とは地球の中央であるエルサレムから一番東にある「日いずる国」である日本のことだ」
とか、『日本は神に選ばれた国であり、日本民族は神に選ばれた民族である』といういわゆる神国ニッポンの皇国イデオロギーと同じなのである。
●ユダヤ人は日本人のことをどう見ているのか?
ユダア人研究でも有名な神戸女子学院大学の内田樹教授によると『エンサイクロペディア・ジュダイカ』という、全26巻におよぶ英語で書かれた百科事典がある。
『エンサイクロペディア・ジュダイカ』は文字通り『ユダヤ人の百科事典』という意味で、その厖大な百科事典に、日本についてのことがどれくらい記されているかというと、0.009%、ページ数にしてわずかに2ページ程度であるという。
日ユ同祖論に熱心な日本人には申し訳ないが、イスラエルを含む英語圏のユダヤ人は、日本や日本人にほとんど、あるいは実質この程度しか関心がない。
Wikipediaによると、一時滞在も含めて日本に住んでいるイスラエル国籍者は802名(2005年末)であるそうな。
ユダヤ系アメリカ人など他国のユダヤ人を含めると2000人ほどいるらしいが、極めて少ないといっていいだろう 。
よって日本にユダヤ教のシナゴーグ(集会所)もほんの数か所しかなく、そして開国してからあまりユダヤ人は日本に住みつかず、
もっといえば第二次世界大戦前に日本に横浜や神戸、長崎にあったユダヤ人コミュニティーも、戦後になるとみんなアメリカに移住しちゃってなくなってしまうありさま。
どうやらほとんどのユダヤ人にとって、日本については関心もなく、また世界のあらゆるところに移り住んだユダヤ人だけど日本はあまり魅力的ではないのかも知れない。
◎日ユ同祖論の年代矛盾。
ダビデの星がユダヤの象徴になったのは十七世紀から(イエズス会製)。
伊勢神宮のダビデの星がある石灯籠の設置は戦後。
ユダヤ・カバラで生命の樹理論の元型ができたのは12世紀(盲人イサク)から。
クリスチャン・カバラ(生命の木中心)は15世紀にピコが創始。
◎日ユ同祖論の方位矛盾。
メルカトル図法は方位が不正確。
方位が正確な正距方位図法ではイスラエルの東北の果てが日本であり、東の果てならニューギニア島あたり。
聖書が根拠の失われた十支族に考古学的証拠なし。
イスラエル中心の正距方位図↓
http://ronbarak.tumblr.com/post/39738833512/online-map-creation-using-azimuthal-equidistant
◎日ユ同祖論は縦書きの漢字とヘブライ語(横書き)の子音表記を無視。
公にしない支配者層の文章ですら漢字と漢字の変形(仮名)。
漢字否定の為に神代文字を捏造。
ヘブライ語は子音表記で母音記号(ニクダー)がないと正しい読みは不明。
都合よく読めばどんな言語とでも同祖論を作れる。
◎日ユ同祖論は仏教と道教を無視。
本地垂迹説(神の正体は仏)で神の実体を否定する仏教が国教(寺が神社を管理)。
天皇も側近も仏教徒。
日本語に仏教用語は多いが神道用語は少数。祇園は仏教用語 。
昔の神道=和風道教。神道・神器・天皇は道教用語。
天皇は道教最高神・天皇大帝(北極星)の略。
◎日ユ同祖論はユダヤ教の最重要教義を無視。
神道は多神教で安息日がなく(十戒=最重要事項違反)、
バルミツバ(13歳でする成人式)もない。
祇園は仏教用語。シオン祭というユダヤ教の祭りは存在しない。 RiekoPiano@RiekoPiano • 7月23日
ユダヤ教徒の妻ですがシオン祭などというのは見た事も聞いた事もないですね。日本独自の都市伝説です。そもそも7月1日がロシュハシュナでシオン祭の初日という記事もありましたが今年のロシュハシュナは9月24日から26日です。
RiekoPiano@RiekoPiano • 7月23日
ネタとしては青森のキリストの墓と同じで面白いなあとは思うのですが(笑)、世界のどこにいても伝統行事を大切にしているユダヤ教徒に話したら「なんじゃそりゃ」と笑ってました。ユダヤ教の行事カレンダーも7月は空白です。
RiekoPiano@RiekoPiano • 7月24日
何度も言いますがシオン祭と言うもの自体が存在しないのです。ユダヤ人は古代の行事伝統をすべて大事に今でも行っている民族ですがそのユダヤ人たちの間でこのような祭りが存在しないのです。
RiekoPiano@RiekoPiano • 7月24日
シオン祭で検索してみてください。祇園祭に関連する記事以外何も出てきません。本当に存在する、あるいは存在したものなら、たとえユダヤ教やユダヤ人の文化の記事として必ず英語か日本語でみつかります。それが何もないのです。
RiekoPiano@RiekoPiano • 7月24日
ユダヤ人たちは、世界のどこにいても、その多くが子供の時からヘブライ語を学び、自分たちの民族の歴史や伝統をしっかりと教え込まれます。そのための学校も必ずあります。その彼らが「シオン祭?何それ?そんなもんないよ」と言っているのです。
RiekoPiano@RiekoPiano • 9月5日
それで、伝統をこの上なく大事にして何千年も多くの行事を続けているユダヤ人たちが知らないシオンの祭典って何ですか?
ユダヤ人の祭り
http://www5f.biglobe.ne.jp/~jesus/NT-intro_festivals.htm
ユダヤ教 ━ ユダヤのお祭り
http://myrtos.co.jp/info/judaism03.php 文字刻んだ弥生式土器でも発掘されない限り、
硯とおぼしき石片だけじゃ文字の使用は推測でしかない
>>588
古事記のもとになった古文書なんてあるの?
口伝を纏めたって聞いてたけど >>596
主力は、口伝でもメモ書きなどは、あったと思われるけどね >>596
音読したと書いてあるみたいだよ
要するに読んだってことだろうと思う。
日本書紀には一書に曰くというのが何種類もでてくる。
少なくとも古文書が多数存在してたと思われる。 >>598
古文書が漢字なら太安万侶でも読めそうなもんだから、漢字じゃなかったんじゃないかなと思うのだが >>599
漢字でも古い言葉づかいや方言は、誰でも読み取れるとは思えないけど 日本書紀:日本武尊(やまとたけるのみこと)
古事記 :倭建命(やまとたけるのみこと)
>>602
ヤマトタケルて日本語(大和言葉)に漢字当てただけだから、
どちらでもいい 日本語表記が定まっていない時代、またはそんなものが無い時代に神話伝承に適当に漢字音を当てはめた、とか漢文に仕立ててみたとして、それらの文章はもとの日本語神話伝承を知っている人にしか読めない。
>>47
>倭人伝には文字がなかったと書かれてある
三国志・魏書・第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条 には、そう書いてあるが、
旧唐書には、縄を結んで、字としたと書いてある。『刻木結縄』 まあ倭人伝で倭国全体の調査をしているはずがないから硯かどうかまで深く考えても仕方ないと思うが
入墨では?って意見もあるし画材の可能性ちか文字に拘るとずれると思うよ
別にしるしや模様に使ってもおかしくないから
硯=文字、文書ってのが極端じゃないか
>>604
>とか漢文に仕立ててみたとして、それらの文章はもとの日本語神話伝承を知っている人にしか読めない。
物部氏が、神話の口頭伝承をしていると言うことは、大和地方の豪族の中で、神武東遷で、唯一の生き
残りであって、大和の豪族の連合を裏切って神武と密通して、手引していたのだから、行き晒した別部族
が、各々の口頭伝承をしており、中には、戦争捕虜として、焚書坑儒的な扱いを受けたと考えられる。が、
各神社が、白村江の戦い後の8年目に日本列島に3000名の兵士を従えて、捕虜になった倭軍総大将
の筑紫の君サチヤマ薩野馬
>對馬國司、遣使於筑紫大宰府、言「月生二日、沙門道久・筑紫君薩野馬・韓嶋勝娑婆・布師首磐四人、
>從唐來曰『唐國使人郭務悰等六百人・送使沙宅孫登等一千四百人、總合二千人乘船卌七隻、倶泊於
>比智嶋、相謂之曰、今吾輩人船數衆、忽然到彼、恐彼防人驚駭射戰。乃遣道久等預稍披陳來朝之意。』」
が、進駐して来た為に、大きな変革が起こった。
この際に、倭の神社は、すべてが、新羅系の神社と置き換わった。つまり、明治神宮等のイギリスの東
インド会社の極東支店であった ジャージー・マセソングループが創作したと言われるが、長州系神社とは
別に、元来は、大変に古い宇佐神宮、伊勢神宮、出雲がすべて、倭人から新羅系の神官を置くことになった。
GHQ 進駐後に、松平という、江戸時代の徳川型の神官が長州系の靖国神社の神官として、神社本庁
から出向しているが、これと同じことが、白村江の戦いの後に起こった。 日本人らしい史観主義台頭が出てきているという事が本当に怖い
まず文明の最果てとも言える土地に何が起きますか?
起きません。
これはスズリと言うより催事の部品と認識しなさい。
まずは日本の文化を知りなさい。
全てを憶測で行わず史観を持たずに生きなさい。
どこの僻地で文明が花咲ます?
ありえない事を夢で追うのは恥です。
日本人らしく生きていくのが全てです。
日本人は周りから知恵をもらった事を忘れた民族だからかりささにた
全ての時間を考え当たり前の生き方をしっかり行う事を本当に希望します。日本は死ねば全てを解決しますが私は慈悲があります。
なので本当に怖い。
日本人は無知なので
>>608よ
それは本当の事を日本人に言うのは酷い事である。
なぜなら日本人とは1900年まで戦争しかできない野蛮民族なのだから
私のおじいさんのおじいさんは刀を自慢していたしおばあさんの家は男を産む事だけが人生である。
そして1900年後はアメリカに負けた国である事を私は知っている。
日本人は教えられ教えられ敵を求めるといのは私が生きてきた中で知る事だ
日本人は本当に大変です
私も本当に大変でした。
日本人とはそのように猿である事で本当に有名ですから。
日本人ですみませんと言葉がよく聞かれます。 上のコメントはよく理解できます。
私は日本人の67歳です。
私は東北ですが、私が幼い頃に字を読める人は極少ない数でした。
私の周りが字を知ったのは1970年代と認識しています。
東北はそれでも知識人がいましたが九州とかは、言葉がなかなか通じないのが1980年代まであったとよく聞きます。
沖縄はまだ通じないとよく聞きます。
>>605
魏志倭人伝には「傳送文書 賜遣之物詣女王 不得差錯」とあり倭人が文字を使用していたとある。 魏志倭人伝には「傳送文書 賜遣之物詣女王 不得差錯」とあり倭人が文字を使用していたとある。
この文を見せる事が素直な話である
紛い物か
>>1
世界のどの文明より古い海底ゴジラ神殿にも「ゴジラ」とカタカナで書いてあったからな スズリもゴジラもあるわけないだろ
どんだけ日本がすごければゴジラとあるのか
どんだけ日本がすごければスズリがあるのか
嘘つきだな
非を認めないのが私たちかな
ゴジラの字もスズリもあるわけない
よくよく考えて発言をお願いします。
これから先は
日本人は過去にゴジラの字があったとかスズリがあったとか言う人間なのだから
カタカナはいつからですか?過去にゴジラ書いてありますか?
頭おかしい事を示さないでください。
日本の過去にスズリがありますか?日本に字がありましたか?
頭おかしい事を示さないでください。
日本人の歴史には遥か昔にゴジラの字があったという
ならば世界には航空機が飛んでました。
わかれ
ボケ
言葉の会話もできない、ロボット達よ
いくら焚書しても痕跡も残らないなんてあり得ないから
日本独自の文字なんてあるわけねえ
中華から文字が来たとかあるけど日本から中華へだからな
漢字は
?
できもしない詭弁は嘘でなく障害ではないか
馬鹿には付き合えないとはこの事
春が近いと山には猿が湧く
幸いに私達には日本猿が島をいかないといない
幸いだ
馬鹿は寝ておきなさい
これこそが幸せなら事だから
交易するには、独自文字より共通文字のがいいからな
ヒエログリフだってメインはアッカド語だったろ
>>628
古墳とかから文字の遺跡が出てこないのは不可思議だよな
銅鐸にも書いてないし
普通書かれててもよさそうなもんだが 日本では、卑弥呼の時代の三〇〇年は、竹簡、木簡、石簡、パピルス、といった Media が、発見
されていない。硯というわけではなくて、鉱物を入れて、砕いて、顔料にした後に、膠で保存して、
ペースト状の絵の具ではなくて、こすって混ぜる、パレットではなかったのかと思う。
旧唐書に刻木結縄の時代が書かれていて、それが、卑弥呼の時代の三世紀だから、獣句奴
国(熊本、鹿児島)卑弥弓呼という野蛮人と戦闘状態であっては、硯は、義呉蜀との外交文書
にしか、用いられてなかったので、漢文が書ける外国人を雇っていたらしい。
>>605
縄で字としたって興味深いな
インカは、縄で字にしてたんだよね
縄文系と弥生系は、おいかけっこしながらアメリカ大陸に至るのだが、縄で字にする文化の起源が同一だったりして 中国では紀元前には紙が発明されているので
日本に文字が入るときはすでに使い分けがされていた
戸籍などの記録保管用には紙
輸送タグには木簡や竹簡
文字練習用には木簡を薄く削って使った。
>>637
こんなところにも共通点があるのは面白いね
共通のルーツを持つ可能性は高いでしょ
案外向こうの文明を調べたら古代日本を探るヒントが得られるのかもしれない >>598
それが本当ならなんで歴史学者は古事記以前の書物の存在を黙殺するのか不思議
まあ焚書された可能性が高いんだろけど、何処か古い神社とかに残ってないかねえ >>504
>>511
仏教の偉大さを強調する為に、仏教のお陰で文字が広まったて作り話だろうな
縄を結んで文字代わりにしていたって出土品も無いし、伝承もないしな
魏志倭人伝にある様に相当以前から文字が使われていたみたいだな。 >>640
あったことはたぶん皆間違いないと思ってるけど、発見されてないからどうしようもないんだとおもうけどね 隋書は、只の書き写しが多いため、時代の考察が無茶苦茶であり、信用されていない。
以下の最初の行から、阿毎字多利思北孤が、隋の煬帝宛てに、書いた文を見て、
激怒したと書いてあるが、
二〇行目には、文字がなくて、木に刻印をしたり、縄を結んで記録としたということを、
とうてい支離滅裂なことを記載してあり、齟齬が多い。
https://ja.wikisource.org/wiki/%E9%9A%8B%E6%9B%B8%E5%80%AD%E5%9B%BD%E4%BC%9D
>二十年俀王姓阿毎字多利思北孤號阿輩雞彌遣使詣
闕上令所司訪其風俗使者言俀王以天爲兄以日爲弟
天未明時出聽政跏趺坐日出便停理務云委我弟?祖
曰此大無義理於是訓令改之王妻號雞彌後宮有女六
七百人名太子爲利歌彌多弗利無城郭内官有十二等
一曰大徳次小徳次大仁次小仁次大義次小義次大禮
次小禮次大智次小智次大信次小信員無定數有軍尼
一百二十人猶中國牧宰八十戸置一伊尼翼如今里長
也十伊尼翼屬一軍尼其服飾男子衣裠襦其袖微小履
如屨形漆其上繋之於脚人庶多跣足不得用金銀爲
飾故時衣横幅結束相連而無縫頭亦無冠但垂髮於兩
耳上至隋其王始制冠以綿綵爲之以金銀鏤花爲飾婦
人束髮於後亦衣裠襦裳皆有襈攕竹爲梳編草爲薦雜
皮爲表縁以文皮有弓矢刀矟弩𥎞斧漆皮爲甲骨爲矢
鏑雖有兵無征戰其王朝會必陳設儀杖奏其國樂戸可
十萬其俗殺人強盗及姦皆死盗者計贓酬物無財者没
身爲奴自餘輕重或流或杖毎訊究獄訟不承引者以木
壓膝或張強弓以弦鋸其項或置小石於沸湯中令所競
者探之云理曲者即手爛或置蛇瓮中令取之云曲者即
螫手矣人頗恬静罕争訟少盗賊樂有五絃琴笛男女多
黥臂點面文身没水捕魚無文字唯刻木結繩敬佛法於
百濟求得佛經始有文字知卜筮尤信巫覡毎至正月一
日必射戲飮酒其餘節畧與華同好其博握塑檽浦之戲
氣候温暖草木冬青土地膏腴水多陸少以小環挂鸕鷀
項令入水捕魚日得百餘頭俗無盤俎藉以檞葉食用手
餔之性質直有雅風女多男少婚嫁不取同姓男女相恱
者即爲婚婦入夫家必先跨犬乃與夫相見婦人不淫妬
死者斂以棺槨親賓就屍歌舞妻子兄弟以白布製服貴 当たり前田のクラッカー
殷の次の周王朝(BC11C-BC3C)の時代に、既に倭人が朝貢してたらしい。
ということは、当然、そのころから文字は使っていた。
文字使えないと朝貢無理だからw
>>596
蘇我氏の邸宅にあったじゃん。
焼けてなくなったけど。 >>644
それは庶民と支配者そうの違いじゃないの? 海幸彦・山幸彦:
兄・海幸彦からもらった釣針(=鉄)をなくした弟・山幸彦は、
海を渡って、釣針と玉(=朝貢)を手に入れ、兄・海幸彦を懲らしめた。
これは、やまと(邪馬台)勢力が半島倭人(弥生人)やら漢の出先と通じ、
みなと勢力から、列島倭人内の覇権を奪った史実だな。その再掲が
日本書紀にある天照(=やまと邪馬台)とスサノオ(宗像)の誓約だな。
恐らく、宗像の元の名は「みなかた」=「みなと(博多)の横」の意で、
最初のみなとの支配者だったはず。
>>649
土器、漆器、玉、アスファルトも下手すると >>651
コンクリートなら卑弥呼よりも遥か以前にローマ人が実用化してたよ >>603
しかし「日本」をあてるか「倭」をあてるかでスタンスというか執筆時期や執筆姿勢に違いがあるような
「武尊」と「建命」も同様に >>652
アスファルトは縄文人だからローマより前だよ >>628
何故言葉と言うかってーと、木の葉に書いたからなんだよね。
言葉を記録として利用するという概念が日本にはなかったんだよね。
だからだよ。 >>657
文書の記録性が問われるのは、王朝の正統性の主張に歴史が重要とされたからで国家成立以前に文書が必要とされた国などなくないか 弥生文化が大陸から来たのであればむしろ字も伝わってきてるのが普通だろ
>>658
細かく言えば、日本語資料が8世紀。
文書資料が5世紀。語句資料が3世紀。
文字資料は>>1に書いてあるんじゃないかな? 縄文人のヒスイや黒曜石の交易ルートを考えれば、少なくとも
文字に当たる物が無いと無理だって馬鹿にでも分かるだろ。
と言うか馬鹿にしてるのか?
>>584
弥生時代の開始年代はさかのぼった
それまでは稲作が伝わってから短期間で日本中に広まったとされていたが
北九州のごく一部で早い時期に伝わり、普及までに時間がかかった
地域差がすごくあったという事
ただ基本的にやはり縄文の遺跡から農具は出ないし
80年代以降にあるとされた陸稲はずっと確かな証拠が見つからないので
基本的にはやはり弥生時代から稲作は始まったというのは変ってない 一地方の首長の移り変わりと見れば、決してトンデモではない欠史八代は、伝承に基づいているとは思うが、
崇神帝を10代にしている点で編集されていると考えたい。その編集元の伝承は何時頃帝記として「記憶」されたのであろうか?
その必要性を考えた時、やはり崇神帝の時代、卑弥呼の少し後で良いのではなかろうか。
でそれを文字に記録したいという必要性も出るが、記紀に基づけば崇神以降応神まで国内統合戦が続いているので、その余裕がない。
応神朝時代は半島南部の支配権で支那南朝に認めさせる使節を送っているので、国の成り立ちを記録したい必要性も出る。
5世紀に文字を使って記録された可能性は十分にある。
>>637
インカに文字は今のところ発見されてないよ
インカではキープといって縄を結んで数字を表すものはあったが、文字はなかった 北部九州の古墳ってデカくないから道路になったりゴルフ場になったりでかなり消えてる。
>>639
古代日本とインカじゃ年代がぜんぜん違う
そして太平洋をはさんで交流は全く無い
ムーのネタとしては面白いが
君はちょっとは頭を使ったほうが良いよ 文字は百済から倭族に伝えたニダ
日本人は一生韓国人に感謝するスミダ
カタカムナとかいうのは
スピ業界では既に歴史的事実だもんな
それを裏付ける発見だね、
>>670
交流があったなんて一言も言ってないのですが・・・
あくまでルーツの話
アメリカ大陸に渡った一派と残った一派
両者の文化に共通の痕跡があったら嬉しいねって程度の話
なんで罵倒されなきゃいかんの? >>670
縄で記号化する方法は、エジプトや中華にもあったらしいぞ 一番のロマンは古代フェニキア人が日本に来てたのかどうかってこと
いつかはフェニキア文字の石板が発掘されるかもよ
始皇帝が中国を統一し万里の長城を建てていた頃、日本人は竪穴式住居でドングリを主食にしてた
とうぜん文字などなくウホウホ言ってるだけのゴリラに近い生命体だった
>>676
でも今の日本人には、漢の楽浪郡や帯方郡経由で多少中華文明の血すじ引いているの人間と思うよ
とくに貴族階級には、俺は勝手な推測かもしれないけど天皇家には、入っていると思うけどな
王仁博士なんて秦の王氏の系譜といわれても理論的には、自然だし >>676
朝鮮人は明治時代まで竪穴式住居に住んでいました 農耕が伝わってきた以上は筆耕も伝わってくると
考えた方が当然だと思う
韓非子だったか守株の話で為政者は時代に合わせた
経綸を打ち出す必要を説いていた
農耕という農業土木には算数や数学と記録というものが必要になり
なにかしら書きつけていないと成り立たないのでは
ものに名前があることや、カネを打ち鳴らすこと
ひとに名前をつけてやること、名前を石や貝や木片に書いてやることが
為政者の統治技術だった時代があっただろうなあと思う
>>682
インカは、文字がなくても農耕ができたし建造物を作ったけどね >>676
ゴリラに近い生命体が周王に薬草を献じたりせんだろ 渡来人には2系統があり、最初に渡来したのは大陸の江南人らしいな、その後
朝鮮半島から北方系民族が渡来したらしい、江南人の墓は甕棺墓で北方系民族の
墓は方形周溝墓、甕棺墓は北部九州の限られた地域からしか出土していないが
方形周溝墓は全国殆どの地域から出土している特に滋賀県と埼玉県が多い。
農耕が安定したのなんて時代的には最近だぞ
むかしは神に豊作を祈って大嘗祭
硯とおぼしき石片だけじゃ証拠弱い
筆と墨と、文字が書かれた木簡出土しなきゃ文字の有無は確定出来ない
>>1
でたらめな記述が多い魏志倭人伝なんか信じるからこうなる
実際には日本の弥生人は殷の子孫で紀元前11世紀頃から日本に帰化した
殷の人々は甲骨文字を利用していた
その甲骨文字でさえ実は縄文人と弥生人合同で開発された文字
ちなみに朝鮮半島初めての国家は箕子朝鮮で箕子は殷の人間で弥生人の祖の一人
弥生人=殷の人間の有名人には孔子などが存在する
実はこれらの歴史は日本の場合にはGHQにより封鎖されてきた
しかし実際には日本書紀などはだいたい正しく
昔になればなるほど詳細な歴史の記述がなくなっている
つまりGHQが日本で扇動した欠史八代の解釈は実は全く逆さまで実はその中には既に失われた系図が存在する
だから異常に長い寿命の天皇が存在するのだ
箕子朝鮮の事については日本の学者は再考する必要があるだろう
なせなら箕子朝鮮の箕子、つまり殷の子孫こそが弥生人なのであるのだから ちなみに殷の人間は日本を目指した
というのも殷の人間の弥生人と縄文人は非常に仲が良かったから
つまり殷の時代に既に縄文人は大陸に進出していた
と言うより殷の時代の前の時代から日本人は中国大陸にも住んでいたのだ
それが洪水そして殷と周との争いの中で日本人は大陸から姿を消した
殷は周に敗北すると北と南に散らばった
箕子朝鮮は初めは弥生人と縄文人で構築された
南に移住した殷の人々もやはり沖縄などを通じて日本に来た
その他ベトナムなどに南下する人々もいた
そして殷の時代の日本人の航海術は今の学者が考えているよりも高度なものであった
ちなみに孔子も船を浮かべて日本に行きたいと言っている
そのくらい殷の人間は日本のことを知っていた
当時の日本は蓬莱とか扶桑国などと呼ばれていた
ちなみに徐福は日本に来たのも仙薬を求めてである
そして日本と中国の繋がりを切ったのはその秦の始皇帝である
それまでは日本の事はかなり詳しく中国の書物の中に書かれていた
ちなみに徐福が日本に来たのも仙薬を求めてである
そして日本と中国の繋がりを切ったのはその秦の始皇帝である
それまでは日本の事はかなり詳しく中国の書物の中に書かれていた
また殷の人間=弥生人が船で日本に来る途中で書籍は重いので持ち運べず
弥生人自身もその歴史の詳細を喪失したのである
楽浪郡発祥の方形周溝墓(弥生時代前期中頃〜古墳時代前期)の分布数
(民俗学伝承ひろいあげ辞典のHPより抜粋)
東北地方(12基)
宮城県・・10基 福島県・・2基
青森・秋田・岩手・山形県・・ゼロ
北関東地方(67基)
茨城県・・34基 栃木県・・18基 群馬県・・15基
南関東地方(458基)
埼玉県・・202基 東京都47基 千葉県・・109基
神奈川県・・100基
中部・東海地方(384基)
新潟県・・2基 富山県・・31基 長野県・・50基
山梨県・・60基 静岡県・・104基 石川県・・17基
岐阜県・・11基 愛知県・・26基 福井県・・41基
三重県・・42基
畿内地方(583基)
京都府・・30基 奈良・・16基 大阪府・・131基
和歌山県・・・9基 兵庫県・・13基 滋賀県・・384基
中国地方(110基)
鳥取県・・53基 岡山県・・17基 島根県・・5基
広島県・・11基 山口県・・24基
四国地方(13基)
香川県・・2基 徳島県・・4基
愛媛県・・7基 高知県・・ゼロ
北部九州地方(86基)
福岡県・・24基 佐賀県・・10基 長崎県・・ゼロ
大分県・・6基 熊本県・・46基
南部九州地方(2基)
宮崎県・・2基 鹿児島県・・ゼロ
※要するに渡来人の主流は甕棺墓制の江南人では無くて方形周溝墓制の北方系民族。
方形周溝墓は北朝鮮の平壌(楽浪郡)に多数出土している。
いや無いだろ。
せめて木簡でも見つけてから語らないと。
どっかの国の誇大広告と変わらないよ、恥ずかしい。
>>129
確かに韓流ドラマの時代劇見ても漢字使ってたな
そこは否定しないんだ そもそも、韓字を使用してる地域は古代大韓の勢力圏なんだって証明なんだけど
ネトウヨは認めたがらないのね
>>317
その八母音説自体が怪しいんだけどな
初期の文字体系が完璧に作られるわけがない
足りない文字無駄な文字は出てきて当然
文字の上では八母音あるように見えるからといって
当時の人間が八母音を使っていたとは限らないのだ こんだけ災害が多い列島だもの
古代書物が消失するのは不思議でもなんでもないけどさ
ぶっちゃけ大和朝廷が、過去の史書を筆頭にすべて焼き捨てたんだろうと思うね
>>664
むしろ、最古級の水田がある古墳で弥生時代の定義に必要なものが揃ってないことがわかってきてて
弥生時代と縄文時代の境を明確に定義できなくなってるよ そりゃまぁ中国から渡ってきた亡命民もいるから文字を使う奴はいただろう
殷は紀元前1500年だからな
あり得なくないのに日本人を大化改新以前は原始人みたいにしたい奴らがいるからな
>>706
ポリネシア系じゃない?
タトゥーの語源はタヒチ語の『タタウ』なんだってさ 漢字輸入する前にすでに中国と交流出来る位の文明があった訳だし、文字を持っててもおかしくない気がするんだけどな
中国風の名前に変えるまでは独自色の強い名前付けてたりしたんだから、既に文化や伝統があった訳だし
全部口伝だったとは思えないな
よく考えたら世界的に最も古い年代に土器が作られていて、紀元前から交易の痕跡も広く見つかるのに、
文字「だけ」つかわれていないってものすごく不自然だよな。
旗印とかだろ。
倭国大乱では複数勢力が連合軍で戦ってたみたいだし。
>>711
インカアステカがあるからな近いのにインカは、文字は使わない
知っていたかどうかと公用かしたかどうかは、また違うと思うけどね